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多紀元堅(4)[連載小説「群星光芒」196]

No.4783 (2015年12月26日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-31

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  • 用人の間 了尽は元堅に報告をつづけた。

    「伊東玄朴の医院は間口20間、奥行き30間、600坪の広い屋敷に高塀をめぐらせた豪奢な造りでした。なんでも大工の遠州屋周造が手がけたそうです」

    元堅は片眉を釣り上げた。遠州屋といえば江戸指折りの名工である。請負い料も破格だったにちがいない。

    「玄朴の医塾を『象先堂』と名づけたのは儒者の大槻磐渓殿です。玄関に入ると『象先堂』の額が掲げてありまして揮毫の署名は間部下総守様でした」

    「老中の間部侯まで蘭方どもに与していたのか」

    と元堅は眉根をしかめた。

    「医院は待合部屋のほかに診察場、調剤所、講義室と連なり、2階の寄宿室には門弟がたむろしていました。裏庭には土蔵を2つ備えた居宅があり、噂では居宅の長い畳廊下は奥まで真っ直ぐに通り、部屋の隔壁を払うと大広間になる造りだそうです」

    そこで了尽はため息をついた。

    「土蔵の中には千両箱が山積みにされていると噂する者もおりました」

    元堅は分厚い唇を曲げて腕組みした。

    ――わしは「医は仁術なり」の信念の元に貧しい家の依頼にも悦んで応じてきた。薬方のみならず夏は蚊帳を、冬は布団を与え、貧窮者には金子を恵んでやった。それに引きかえ玄朴の守銭奴ぶりはきくに堪えぬ。
    ――それにしても佐賀の農民出がいっぱしの藩医となるには、よほどの才と運がなければ叶わぬことだ。玄朴は百姓の倅、わしは遊女の子、意外に似た者同士かもしれぬ。よほど褌を引き締めて立ち向かわねば大事をとるぞ……。

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