のっけからパソコンの話で恐縮であるが,筆者は1989年発売以来,今日まで生粋のMacintosh userであるが,1995年にWindows95が登場した頃,某大学教授から「いずれマックは消滅するのでWindowsに替えたほうがいいですよ」と言われた。それと同じ様なことが降圧薬でもあった。
筆者は1970年代はじめのニフェジピン登場以来,Ca拮抗薬推進派であるが,1980年代前半アンジオテンシン変換酵素(angiotensin converting enzyme:ACE)阻害薬が登場すると,某高血圧研究者から「いずれCa拮抗薬は消滅するので,ACE阻害薬に切り替えたほうがいいですよ」とアドバイスを受けた。しかしマック,Ca拮抗薬ともわが国では今日でも広く使用されているのはご存じの通りである。
本稿では降圧薬登場以来の,第一選択薬を巡る論争について振り返ってみたい。
働き盛りの中高年を突然襲う恐ろしい脳卒中が,高血圧と関係があるらしいとようやく人々が気づき始めると,瀉血療法やヒル療法などの民間療法が横行した。
福沢諭吉は2回,脳卒中に見舞われているが,1回目に罹患した時には1日2回の水ヒル療法が繰り返されたという1)。高血圧研究のパイオニアである故・大島研三教授によると1950年頃までは,東京大学医学部附属病院の門前薬局では生きたヒルをシャーレに入れてウインドウに陳列していたという2)。ほかにも渋柿や蕎麦に含まれるムチンがよいとされるなど百鬼夜行の時代が続いた2)。
降圧薬が登場したのは,今から68年前。1952年頃世に出た神経節遮断薬ヘキソメトニウム,レセルピン,ヒドララジンをもって嚆矢とする。副作用も多く,降圧効果も不確実ではあったが,背に腹はかえられず多くの医師が処方した。救急外来で血圧が高い症例にはレセルピンの注射製剤であるアポプロン®の筋注が用いられた時代もあった。今ではこの薬剤の名前を知る医師はほとんどいなくなったであろうが,いまだに保険収載されているのが不思議である。