鍋の湯豆腐がぐつぐつ煮立っている。豆腐の一片を箸につまみ、醤油の煮出し汁をかけ、薬味を添えると、幕吏の間宮林蔵はいった。
「この春、オランダ甲比丹が江戸へやってくる。蘭人どもの行状を見張る絶好の機会じゃ」
そこは江戸日本橋室町の一角、佃煮屋の2階だった。腹心の香川赤心と密談を交わすときは料理屋でなく、この店の奥座敷に潜むのが林蔵の流儀だった。
「蘭人行列の江戸入りは久しぶりですな」
そういって赤心は鮒の佃煮を口に運び、ぐびりと喉を鳴らして酒を飲んだ。
年中行事だった甲比丹の江戸参府は老中松平定信侯のお達しにより寛政2(1790)年より4年に1度と改められた。表向きは財政引き締めだが、侯はなによりも蘭学がお嫌いだったのだ。
「またぞろ町人どもが行列見物におしかけるっぺ」
常陸国の農民だった林蔵は気を許した赤心の前では常陸弁が口をついて出る。
かつて樺太(現サハリン)を探検して功績をあげた林蔵は勘定奉行支配下の普請役に取り立てられた。普請役とは天領(幕府直轄領)の河川・堤防・橋の点検や修築などが主な役目である。支配地は全国に及び、諸大名の政情や民情を探る隠れ蓑も兼ねる。林蔵は諸大名にも直々に招かれて情報を伝え、その謝礼がかなりあった。役目柄、林蔵は江戸藩邸の留守居役である諸藩の聞番とも関わりがある。聞番は幕府や他藩の動静をたえず入手して自藩が孤立せぬよう図っており、林蔵も蘭館医のシーボルトが長崎郊外に鳴滝塾なる医塾を設けた頃から彼の様々な行状を聞き及んでいた。
「長崎奉行はオランダ医のシーボルトをなにかと甘やかしおる」
林蔵は湯豆腐をつつきながら苦々しい表情をうかべた。
「町中を思うがままに歩く格別の許可を与え、丸山遊郭の遊女おタキを出島の外科部屋に囲わせおった」
「そういえばイネという娘までもうけておりましたな」と赤心もうなずく。
赤心は腋臭が強く、しかも耳ざわりな塩辛声をだすので同役たちは敬遠して近寄らない。だが極寒の北方探険で嗅覚をやられた林蔵は気にならない。なにかと気が利き、口が固く、銭勘定もしっかりしている赤心は至極重宝な部下なのだ。彼には折にふれて役得のなにがしかを与えている。
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