超高齢社会の日本において,いまや約100万人もの要介護高齢者の住まいである介護施設。介護施設では,利用者の尊厳を守り,自立を支えるため,介護関係者が日々ケアと向き合っています。同時に,介護施設は様々な訴訟リスクと隣り合わせの厳しい環境でもあります。
高齢になると人間は様々な機能低下を余儀なくされます。要介護高齢者は,様々な機能低下を抱えながら生活しており,その生活は転倒や誤嚥,感染症などの様々なリスクを伴っています。しかし,だからといって,転倒しないようにと行動を制限したり,誤嚥しないようにと食事制限をしたりすることが,高齢者の望むことなのか,高齢者の尊厳を守ることなのか─介護施設も介護職員も,高齢者の尊厳と紛争リスクの間のジレンマを抱えることになります。2013年に長野県安曇野市で起きた特養入所者のドーナツ窒息死事件がその大きな一例でしょう。2020年7月末に,東京高裁は一審の判決を覆し,ドーナツを提供した准看護師に無罪判決を下しました。判決の中で,「窒息の危険性が否定しきれないからといって食品の提供が禁じられるものではない」と言及するとともに,食事の提供は「健康や身体活動を維持するためだけでなく,精神的な満足感や安らぎを得るために有益かつ重要」とも述べたことは画期的でありました。
昨今は,自然災害も多く,介護施設の災害対策も喫緊の課題となっております。不可避の災害に対して,どのように対策を講じていくのか,法的対策も含めて必要となってきています。近年進められているICT化についても,個人情報の取り扱いが介護施設にとって致命的な影響を及ぼすこともあります。何より,介護施設は,利用者ご本人だけでなく,ご家族や成年後見人等の代理人とも深く関わることが必要なため,必然的に紛争リスクも高まります。
本書は,介護施設が備えておくべき法的な知識を,判例とともにわかりやすく解説し,実践的な対応策を読み手に授けてくれます。まさに,尊厳を守る介護を実践するための紛争予防・対応マニュアルと言えるのではないでしょうか。