和田東郭師の門人指導は絶妙だった。
「病の因は腹中に有り。全身の血行、臓物の不具合は全て此に現る故、必ず患者の腹に手を当て臍下丹田の気を候え」と説き、「手掌にて臍の辺までそろそろと按じ撫でてみよ」「ときにはくっとおすのじゃ」「じっくり撫でれば臍の脇に箸を伏せた如き疝気、失調、虚弱の筋が立つ」「妊婦の腹の動きは袋の中に鼠を入れ袋を閉じて鼠をおすような感じを摑め」と噛んで含めるように腹診の実際を示して義父を感服させた。
入塾してまもなく東賀張角と名乗る塾生が声をかけてきた。義父と同年輩で堺商人の三男坊だった。オランダ流の医者になるのが夢で大坂の蘭方眼科に入門して修業を積んできたという。「杉田玄白先生の『解体新書』も入手したんや」と得意顔をするので義父は「流行目には熊の胆汁をつけるのが漢方の流儀だ」と議論を吹っかけてみた。
だが張角は「そんなもんあかん、眼瞼に水蛭を貼るんや」と首をふる。「黒目に侵入した翼状片には猪の脂を塗るがよい」といえば、「あかん、あかん、早よ尖刃でかけらを除かねば」と手をふる。「涙道が詰まればカラシナの細末を目に注ぐのじゃ」といえば、「違う、タバコの粉末が効くんや」と色白の丸顔を赤くする。しまいに漢方眼科の「五輪」を持ち出すと、張角は高笑いして「それこそ密教の五輪八廓を借りた妄説ですねん」と一蹴した。
義父は土生流を冒瀆された気がしてかっとなり、それ以上口を利くのをやめた。
数日後、張角は黙って『解体新書巻之二』と『序・図』を差し出した。中身を開いて「眼目篇」の腑分け図に愕然とした。見たこともない眼球の全形や涙管、眼胞筋が克明に描かれ、眼の解剖と働きも詳述されている。これぞ眼科医にとって必携の書じゃ、と直感した義父は「この前はつい熱くなって大人げなかった」と頭を下げた。「わても高飛車な物言いをしてすんまへん」と張角も謝り、2人の仲は元に戻った。
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