――三井元孺先生の横鍼術は精妙で難しいが、鍼で白翳に孔を開けるだけなら、わしにもできる。
義父は旧知の田村喜平次を頭に浮かべた。彼の左眼は旧い膿瘍で潰れ、右眼は白内障で明を欠いていた。かつては羽振りのいい商人だった喜平次も今は落ちぶれて物乞いに身を窶している。寺の境内に暮らす喜平次を摑まえて「おまえの右眼を鍼で見えるようにしてやろう」と勧めると「だめでもともとじゃ」と白毛まじりの頭をふってあっさりうなずいた。
治療台に仰臥した喜平次の頭を用人の富蔵に抑えさせ、三稜鍼を右眼に向けた。だが鍼を刺そうとすると眼をぎゅっと瞑ってしまう。仕方なく目蓋の隙間から鍼先をぐいと差し込んだ。うわっ、と喜平次は叫んで身をよじった。「やめてくれ、勘弁じゃ、勘弁」と悲鳴をあげたが構わず白翳を抉った。だが手探りなので患部に孔が開いたか否かわからない。目蓋をひろげてみると白翳はほとんど残っていた。
「失敗だったか……」と思ったが、ともかく桂皮麻黄湯を処方して帰宅させた。
2日後、喜平次が右目をこすりながらやってきた。「夕べ包帯をとったら松の翠に夕日が映っていた……」。喜平次は目をしょぼつかせてそう呟いた。
――もしや虹彩に仮の瞳孔が生じたのか?
よく訊くと、あたりがぼんやり明るくなっただけで物の判別はつきにくいという。
怪我の功名だったが「わしは穿瞳術で盲者を開眼させたぞ」と近所に触れ回った。
だが村人たちは「また若先生の大法螺じゃ」「乱暴医術で喜平次の目玉に孔を空けおった」と嘲るばかりだった。
――まもなく30歳を迎えるのに村人はわしを信用せぬ……。 焦りを感じた義父は「上方で一旗揚げてくる」と父に申し出た。
「あちらへ往ったら住みついて2度と戻らぬだろう」と父は猛反対したが、妻と2人の娘を家に残して富蔵と一緒に出立した。
大坂に着くと町はずれに家を借りて目医者の看板をかかげた。だが無名の義父に患者が寄りつくはずもない。さりとて郷里に帰ることもならず、やむなく日が暮れると按摩の笛を吹いて界隈を流し歩いた。
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