義父は知合いの本草家に頼んで野草のハシリドコロを手に入れた。これを用いて眼軟膏をつくり、門人の1人に試みた。玄昌も祈るような気持で見守った。義父がなにやら呪文を唱えつつ門人の両目に軟膏を塗り込めると、彼の瞳孔はたちまち張り子のダルマと見紛うばかりに拡がった。その鮮やかな効験に立ち会った門人たちも、おおっ、と驚嘆の声をあげた。
義父は門人を督励して瞳孔散大の眼軟膏を大量に調合させた。玄昌もこの開瞳薬を白内障手術やさまざまな眼科診療に用いて絶大な効果を上げることができた。
後に義父は本草家の水谷助六殿からシーボルト先生の伝授に多少の誤りがあったと知らされた。ハシリドコロはベラドンナと同じナス科ではあるが別属別種の毒草だったのだ。
「たまたまハシリドコロに瞳孔散大の作用があったのでわしは運がよかった。きっと安芸吉田の弁財天の御利益なのじゃ」
と義父は目尻を下げて玄昌に話した。
これも後日のことだが、あるとき玄昌は高良斎から分け与えられた『薬品応手録』をめくっていて、アッと思った。
そこに「野草のハシリドコロには散瞳の薬効あり」と明確に記載されていたではないか。これにきちんと目を通しておけば、すでに答えがあったのだ。シーボルト殿が薬方伝授を渋ったのは、リョーサイが頒布した小冊子を読まずに質す横着な土生親子の心根を不快に思ったのかもしれない。
だがこのことは義父に黙っていた。告げれば罵倒され打擲され足蹴にされるのが目に見えていたからだ。
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