日本医事新報6月26日号では、創刊100周年記念特集「感染症の100年」と題して、岩田健太郎神戸大教授にメッセージ「感染症診療と医師の将来像─100年の歴史を踏まえ」を寄せていただくとともに感染症100年のトピックを選んでいただき、それに関係した日本医事新報の誌面を紹介している。
ここでは番外編として、ポリオ根絶などアジアの感染症対策で大きな業績を残し、現在、新型コロナウイルス感染症対策分科会長として日本のCOVID-19対策の先頭に立つ尾身茂氏が、WHO西太平洋地域事務局長就任時に自らの原点を語った1999年2月の記事(「人」尾身茂氏)を再録する。(数字の表記など一部編集)
日本医事新報 No.3902(1999年2月6日)掲載
現職との一騎打ちという厳しい選挙戦の末、昨年9月、31の加盟国中過半数の票を獲得しWHO西太平洋地域事務局長に当選。1月26日にジュネーブで開催された執行理事会で任命され、この2月から正式に就任した。日本人としては2人目の快挙である。
既に2期10年を務める韓国のハン氏に対し、現職には不適用ながら「本部が決議した3選禁止の規定の精神を尊重すべき」との立場を取る日本政府の意向を受け、立候補を決意したのが昨年4月。当時は同事務局感染症対策部長の職にあり、尊敬する上司と戦うことにためらいもしたが、最終的には私情よりも組織改革への使命を優先した。
選挙活動のスタートが遅れたため、非常に不利な戦いだったが、日本の政界、官界、医療界などから力強い支援を得て勝利をつかんだ。「皆さんの期待に応えるために頑張りたい。それがご支援に報いる道だと思っています」
組織改革の旗印としては「手続きの簡略化と現場スタッフへの権限委譲」「客観的なデータに基づく意思決定」「保健システムの強化および改革」「限られた資源の有効活用」の4つを掲げる。保健分野では「新興・再興感染症対策」「健康な地域と健康な人々の創造」などに重点的に取り組む考えだ。
高校時代のアメリカ留学で様々な国の人と交流した「原体験」と、自治医大卒業後の伊豆七島での僻地医療体験がWHOを目指すきっかけとなった。
「国内の医療も面白かったけど、どうせ人生いずれは死ぬんだから広いところでやってみたいという気持ちが強かった。これはもう良い悪いじゃない。好き嫌いの問題。みんなが同じようにやるべきだなんて思わないです」
実は、自治医大に進むまでには曲折がある。
「私は最初、商社マンとか外交官になりたかったんですよ。それで慶応に入って法律の勉強をしていたんですけど、当時は学生運動が激しい頃で価値が混乱していて、会社に入ったり外交官になったりすると権力側の手先みたいな感じがしてしまう時代でした。どうしようかなと悩んで、たまたま自治医大ができると聞いたので受験したんです。僻地医療なんていうとちょっとヒューマンな感じがしまして。若気の至りというか青二才の夢みたいなところから始まったんです」
WHOに行く前は、修行の意味で自治医大予防生態学教室でB型肝炎について研究し、厚生省で行政の勉強もした。念願かなって厚生省からマニラにある西太平洋地域事務局に派遣されたのが平成2年。そこでポリオに出会い、5年後には感染症対策部長に就任。その在任期間中にポリオの年間報告数をゼロにするという事業を達成した。今回の選挙戦でその実績が高く評価されたのは言うまでもないだろう。
これからは各国間の利害調整で強力なリーダーシップを発揮しなければならないが、その顔に不安の色はない。「私はもともと文科系の人間なので細かいことを深くやるのは好きじゃない。コンピュータもだめなんですが、人と話すのは好き。人間が好きなんです」
旧約聖書の『伝道の書』にある「すべての業には時と方法がある」が座右の銘。「私はクリスチャンでも何でもないけど、人を謙虚にする言葉ですよね」と快活に語る。49歳。