鼻咽頭検体の採取は客室で行われた。検疫官や自衛隊の医官は検体の集まるステーションから、客室に向かう狭い廊下を繰り返し行き来した。廊下に着替えや手を洗う空間はなく、付着したウイルスを持ち帰っても不思議はなかった。
厚生労働省は事案を災害として、あるいは検疫法の解釈を拡張して災害派遣医療チーム(DMAT)を動員し、重症者の船外搬送と船内対策の実施の両面で闘っていた。重症者の増加に伴い搬出が急務となり、結果的に残るすべての乗客が船内に隔離された。しだいに乗客からはウイルスの新規検出が減少する一方で、乗務員から発症者や感染者が連日報告される事態となっていた。
検疫で得られた流行曲線や患者分布から、客室業務担当者が乗客との接触で感染し、さらに同職種間で二次感染をまねくことが推定された。実際に客室業務担当者の居住フロアに発症者が集中している事実を中澤※1が指摘し、仮説の正しさが示された。菅原※2、美島※3らは船内各所を回り、リスクアセスメントを行った。全職種共用の職員食堂でも他職種への拡がりはなく、空気感染の可能性は低かった。むしろ同一業務担当者が集中して向かい合う位置で食事しており、飛沫暴露や、接触歴のない検疫官が感染した事例から手指衛生の不徹底もリスクと考えられた。
このため医療機関と同様に個人用の手指衛生薬を調達し、各所に配置した。さらにマスクやガウンの脱着手順を標準化し、船内で泉川※4らや小石※5らが作成したポスターや動画で周知を図った。
これらの対策後、幸い乗務員の感染確認数は減少に向かったが、船内で経過観察を続ければ再び副次的感染が起こるリスクは排除できなかった。私たちは霞ヶ関に高位の担当官を直接訪ねて全員の下船を進言し、災害時感染制御支援チーム(DICT)の活動は船外に移行した。その後、乗客全員の下船へと事態は動き出したのである。
この事案が仮に災害の範疇に入るとしても、感染制御活動は支弁対象※6に含まれない。乗客を守るDMATとDPAT※7を、そしてさらに厚生労働省職員と日本医師会災害医療チーム(JMAT)を守る感染制御策を担うべき私たちを招聘する理由、それは「確かに」存在したが法的根拠には乏しかった。
大震災※8でもそうだったが、発生した後の感染ばかりを意識し、発生を抑止する術を知らない災害医療班や災害救助法の大きな欠落点を改めて想った。(続く)
※1 中澤 靖 感染制御医。東京慈恵会医科大学教授
※2 菅原えりさ 感染管理認定看護師。東京保健医療大学大学院教授
※3 美島路恵 感染管理認定看護師。東京慈恵会医科大学病院
※4 泉川公一 感染制御医。長崎大学教授、現・JSIPC災害時感染制御検討委員会委員長
※5 小石明子 感染管理認定看護師。岩手県立中央病院(当時)
※6 法律により費用が支払われる対象。支弁対象とならない事項は必要を認めないという解釈も可能
※7 災害派遣精神医療チーム、DMATと同様に厚生労働省所管で災害救助法による支弁対象となる組織
※8 東日本大震災(2011年)、岩手県における災害時感染制御活動の端緒となった
櫻井 滋(東八幡平病院危機管理担当顧問)[新型コロナウイルス感染症][ダイヤモンド・プリンセス号]