デジタル化の遅れが指摘されている医療分野においても、様々なデジタルツールが登場し、医療DXが進みつつある。デジタル技術の活用により、生産性の向上にとどまらず提供する医療の質の向上にもつながる効果が期待できる。連載第44回は、患者が計測したバイタルデータが自動転送される共有システムを活用、多職種で患者をサポートすることでQOL向上を実現しているクリニックの事例を紹介する。
山口県宇部市の波乗りクリニックは、満潮時には敷地内まで波が押し寄せる瀬戸内海の海辺に位置する。内科・心療内科を標榜し、在宅医療にも取り組んでいる。同院の小早川節院長は、山口大医学部を卒業後、同大附属病院総合診療部に13年間勤務。市内総合病院や岩国市の診療所で慢性期医療や在宅医療の経験を積み、日本専門医機構認定総合診療専門医・指導医資格も取得した総合診療のエキスパートだ。
同院は2014年開業。小早川さんが開業に当たり、クリニックのコンセプトに掲げたのは、患者さんだけでなく自身やスタッフにとっても癒しの場であること。穏やかな海が眼前に広がるロケーションと出会い、この地での開業を即決したという。待合室の窓は大きく開放的でオーシャンビューを満喫できる。診察室には全自動の椅子型診察台を導入、車椅子の患者向けの診察室を設置するなど患者の視点に立った工夫が院内の随所に凝らされている。
「子どものころ、祖父が離島で医師として勤務し、夜中に往診に出かけた話などを母からよく聞かされていたので、医学部を卒業したら総合診療の道に進むことが当然と考えていました。宇部市は大学病院や呼吸器領域の国立病院、県の精神科基幹病院などがあり、高度医療については非常に恵まれています。地域のかかりつけ医として、午前中は外来、午後は訪問診療を行い、なじみの患者さんそれぞれの体質に合った医療を提供すること、患者さんのわずかな変化に気づくことを大切にしています」
同院では在宅医療における多職種連携を重視し、患者のバイタルデータ共有システムを活用している。小早川さんは患者のデータ計測の負担を軽減したいとの思いから、新たなシステム「遠隔診療バイタルステーション」をテスト導入することにした。
バイタルステーションは、エイチティートレーディング社が開発した、体温や血圧、脈拍、血中酸素濃度などのバイタルサインを遠隔で計測できるIoT機器。同社は7月に、患者宅に携帯電話SIMが内蔵された専用の通信BOXを設置し、患者は体温計や血圧計などのセンサーを装着するだけで医師や訪問看護ステーションなどがアクセスできるクラウドにバイタルサインが自動転送される「バイタルステーション クラウド版」をリリース。秋には、主に地方都市における訪問診療の人材不足を補うために、クラウド版に①患者が視覚で判断できる医師からの定期的な自動アナウンスツール、②異常値を検出した場合に医師端末へ通知する機能─の2点を追加した「バイタルステーション 地域医療DX版」をリリースする予定だ。
バイタルステーションの機能について、小早川さんはこう語る。
「現在は外来を自宅に見立てた形でテストしている段階ですが、患者さんがバイタル計測の負担なくデータが自動的にクラウドに転送される仕組みはとても優れていると感じています。そのデータが医師だけでなく訪問看護ステーションや介護、薬局などの多職種で共有できることもメリットです。例えば血圧が高い患者さんがいたとして、誰かが変化に気づいて私に連絡をすることが可能です。患者さんやご家族にも情報が共有されるので、関係者すべてが同じ情報を共有し、患者さんの状態をしっかり把握できる機能は、在宅医療の現場においてとても有用だと思います。通信の安定性など細かい部分では改善の余地があると感じますが、バイタルステーションの開発チームはこれまでのやり取りを通じて、ユーザーのニーズにしっかり向き合う姿勢を持っています。こうしたシステムに完成形はありません。課題が見つかったら一つひとつ解決して、現場にあった性能に仕上げていくことが大切なのです」
バイタルステーションの地域医療DX版は「宇部市中小企業等DX推進事業費補助金(DXモデル枠)」に現在申請中。採択されれば訪問診療における実証フェーズに移り、在宅現場でのニーズを踏まえ、改良を重ねていく方針だ。
「医療DXというと生産性の向上や省力化がメリットとして語られがちですが、本当に大切なのはデジタルを活用することで医療の質を変化(トランスフォーメーション)させることです。バイタルステーションは、多職種が患者さんのデータを共有することで早期診断・治療につなげることができたり、患者さん本人もバイタルデータへの意識が高まったりするなどQOL向上につながる効果が期待できます。集まったバイタルは在宅ならではのビッグデータとなり、これまで気づかなかったことが可視化される可能性もあります。バイタルステーションの機能を活用した訪問診療を提供していくことで、これからも患者さんの生命の質を高めていきたいと考えています」(小早川さん)