大学での業務に復帰し、自ら自己検疫期間と定めた時間を経て、私は大学病院の感染制御部部長として、あるいは岩手県の新型コロナウイルス感染症対策専門員会の長として、後にコロナ禍と呼ばれた日々を過ごした。
流行の初期、新型ウイルスSARS-CoV-2への感染は致死的な転機に直結するととらえられ、端的にいえば感染の有無を知ることが予後を知ることと認識される傾向にあった。しかし感染症に限らず新たな疾病では、ある時期において正しいとされた認識が常に変遷しつつ、新たな評価がなされていく。このような流動性はあらゆる新興感染症の流行において観察されるのは必然であり、その要因の一部は病原体自体の感染性や毒力の変化であり、また他の一部は検査法など感染症への対処や治療手段の進歩または停滞による。
コロナ禍が終わろうが続こうが、ウイルス感染症ではPCR検査が精密かつ有用な診断手段であることは論をまたない。問題はパンデミックの初期、PCR検査の科学的特性が無視され、実施そのものが仮そめの「安心提供手段」と化していったことである。
岩手県においては、初期の平穏期を経てまたたく間に地域蔓延状態となり、感染患者の臨床的把握手法も変遷する中で、ある臨床医たちはPCR検査のみをかたくなに信じることで、流行がわが身に及ぶ不安から逃れようとしている風に見えた。また、それなりの規模の医療機関の長でさえ、様々な詭弁を弄して診療を拒否し、わが身を守ろうとする向きもあった。
PCR検査による「陰性確認の意義は仮そめ」と書いてはみたが、感染症指定病院や特定機能病院などでは少し事情が異なる。医療従事者も人の子であり、感染リスクに対する「不安」が時に作業効率や積極性をスポイルし、通常行われるべき医療介入を躊躇させるからである。特に大学病院のように高度医療を提供するという建前の病院にとっては、治療方法が確立されている疾病の治療がコロナを理由に制限されることは由々しき問題であった。一部の“教授”たちは医療介入前の網羅的PCR検査を主張したが、当時の検査能力では時間やリソースの浪費となることは明らかだった。実際に手術数週間前のPCR検査を安全の根拠とする滑稽なルールも誕生した。しかし、そもそも事前検査と介入の間に患者または医師が感染する可能性は排除できなかったし、ある診療科のスタッフのほぼ全員が院外でのクラスターに巻き込まれるという事案も発生した。もはや、PCR症候群という悲しい病であった。
特定機能病院はコロナを診ている時間はない、感染症指定病院が診ればいい。いや、コロナこそ高度医療を必要としている。指定病院内では様々な葛藤や憂鬱が渦巻いていたのである。(続く)
櫻井 滋(東八幡平病院危機管理担当顧問)[新型コロナウイルス感染症][特定機能病院]