「命定め」と呼ばれ天然痘と並び怖れられてきた麻疹は、同時に「はしかのようなもの」という慣用句に象徴されるように、随分軽く考えられてきたことを先月書かせていただいた。一体どうしてそんな意識の隔たりが起こっちゃったのだろう。
麻疹がありふれた子どもの病気として毎年流行っているところでは、確かにそんなに怖がられていなかった(注:あくまでも昔の基準! 現代の日本では元来健康な子どもでも麻疹に罹ると500〜1000人に1人は死んでしまう。つまり新型コロナの数百倍も致死率は高い。栄養状態も医療のアクセスも悪い低所得国の子どもでは数十人に1人が死んでしまう)。1875年、オーストラリアでも麻疹は子どものありきたりの病気だった。しかしこの年、植民地条約締結のためにオーストラリアを公式訪問したフィジー王ザコンバウとその一行にとって、麻疹は未知の病気だった。訪問中に感染した王の息子を含む2名が帰国の航海の途上、麻疹を発症し死亡したのが、続く悲劇の序章だった。
息子が死んでも悲嘆に暮れる暇なく、王は10日間にわたる祝宴を催して訪豪の結果を報告した。この宴にはフィジー諸島各地の酋長が集結し、彼らがそれぞれの島へ帰った後、あっと言う間にフィジー諸島全域に新興感染症・麻疹が大流行した。その結果、わずか2カ月で全人口の4割以上に相当する2万人を超える島民が死亡した。
オーストラリア(そしてその他多くの国や地域)で麻疹がありふれた病気になったのは、麻疹ウイルスが弱毒化したからではない。このウイルスが定着し集団免疫が獲得された結果、比較的軽症ですむ子どもたちだけが罹る病気になったからだ。実際、人の社会で弱毒化の方向に進化したウイルスなんてほとんどない。天然痘もポリオも(もちろん麻疹も)病原性の強さはまったく変わらなかった。新興感染症がありきたりの病気になる条件は「病原体の弱毒化」ではなく、「集団免疫の獲得」である。
1823年、ハワイのカメハメハ2世とその王妃はキャプテン・クックの遺骨を携え英国を訪問した。しかし彼の地でまず王妃が、ついでカメハメハ2世が麻疹に罹患し相次いで命を失った。そう、ハワイもフィジー諸島と同様に麻疹に対して全く免疫がなかったのだ。
現代の私たちも海外旅行の際に、自分たちには免疫のない感染症に罹ってしまうことがある。マラリアやデング熱が有名だが、この当時(今も?)麻疹は旅行者感染症だったのだ。
今また麻疹が海外から持ち込まれ、国内での流行拡大が危惧されている。ワクチンで制御できる病気だが、「自然派」に傾倒したりワクチンを敵対視する宗教を信奉したりして、麻疹ワクチン(日本ではMRワクチン)を子どもに接種させない親がいる。でもそれは500分の1の確率で死ぬロシアン・ルーレットを子どもに強要することだ。500分の1だから大したことはない? でもあなた、百万分の1の確率で起こるワクチンの重篤な副反応には大騒ぎしたり、1等確率数千万分の1の宝くじを買い込んだりしていませんか?
森内浩幸(長崎大学小児科主任教授)[感染症の歴史][麻疹(2)]