一昨年、米国FDAは「マイノリティの人種・民族がもっと治験に参加できるよう、製薬企業は新薬開発の多様化計画(diversity plan)をつくれ」というガイダンス案を出した。
米国の治験参加者は伝統的に白人が多く、黒人・アジア人などのマイノリティ、そして女性・小児などの参加が不十分であることが問題視された。こうした指摘は何十年も続いており、何ら真新しいものではない。折々の政権のマイノリティ政策の反映でもある。
読者の先生方はむろんお気づきだろう。「ん? アジア人って米国では少数派だが、近年急に貧しくなった極東の島国あたりには掃いて捨てるほどいる気が……」。その通り。多数派・少数派はそれぞれの国に相対的なもの。世界には米国の他に195の国があり、それぞれに固有の人種構成を持つ。このガイダンスはそうした事実はすべてガン無視し、米国における多様性とマイノリティのみを語る。
行政的にはそれで何の問題もない。自国の規制は、基本、自国の文脈に則るもの。米国政府が日本に住むアジア人の厚生を気にかけてくれるはずはない。
が、しかし、米国政府はこのガイダンスをグローバル企業に向けて発していることを忘れてはならない。利潤を求めて世界を彷徨い、安上がりな治験実施国を選ぶ人々。このガイダンスは、グローバル企業のグローバル開発の姿に影響を与え、何らかの形で米国の国益に資する、ある種の貿易政策でもある。たとえばFDAが企業に「日本での試験? あ、そんなもの不要だよ。ロス(LA)の日系人を治験に入れれば米国的な多様性はOKよ」とこのガイダンスに基づき言ってしまえば、日本での治験が1本消滅する。それどころか、LAのそのデータは日本向けに輸出されることになる。
国際貿易政策を国内マイノリティ政策の顔で行えるのが米国FDAである。大国とはおそろしい。こうした問題意識が日本の専門家には薄い。需要側の要因(規制など)が供給側の要因(施設のコストなど)よりもはるかに大きく日本の治験の種類と数に影響することは過去数十年の経験で明らかなのに。
日本人の治験参加・データ収集、そして薬剤使用法の最適化が「米国のマイノリティ」政策に左右されるという現実を直視しよう。一国至上主義とは対極にあるはずのグローバルな「多様性」。そこに歪みが生じたとき、真っ先に気づくのがマイノリティであるはずなのだが……あ、ニッポンって既に米国の一部でしたっけ? それでは気づけるわけないか。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[FDA][治験][マイノリティ政策]