自民党の総裁選への立候補が林立している。今回は、派閥の解散もあって推薦人を集めることができれば個人で立候補できることになったものと思われ、多くの議員が手を挙げようとしている。私個人の考えだと、これは好ましい現象だと感じている。
私たち、医師の世界でも、派閥という言葉を耳にすることは多い。自分の派閥の人間をよきポストにつけようとしたり、自分の後継者には派閥の者をあてがおうとそれ以外の者を無理に排除したり、ということが日常茶飯に見受けられるように思う。私の考えだと、もちろん、これはよろしくないことの範疇に入る。ノミネートも個人の実力のみを頼りに行われることが、社会にとっては最も能力の有効活用であることは間違いのないことである。では、なぜ、派閥が存在するのか? なぜ、派閥に所属したがるのか? おそらくであるが、派閥に所属することで少しでも自分が得をしようということが目的なのであろう。派閥に所属することで、本当に得になるのであろうか? 派閥に所属するが故に守らなくてはならない内規や不自由さもあるだろうに……。
優秀であると思われる後続の者のことは推薦して当然であろう。自分が手塩にかけて教育した、と思われる者は尚更である。このことからすると「知人を推薦する」という行動は当然のことであり、知らない者を責任をもって推薦することはできないので、これ自体は通常のフェアな行為であると思われる。派閥というのも「知人の集まり」であると考えれば、派閥の人間を推薦することに何ら不具合はないのではないか? という疑問にもたどり着く。では、いったい何が問題なのか? 派閥は、そこに属さない者を排除することが問題なのだと思う。派閥に所属していようとしていまいと、「よいものはよい」のである。ところが、通常の派閥はそこに属していない中でも、特に「よいもの」を排除しようとする。これが派閥の問題なのだと思う。
派閥として現存するものをすぐに解散するのは難しいことであろう。大学の同窓会も、医局も派閥のようなものなのだから。しかし、そこの優秀なリーダーは自分の派閥のメンバーを盛り立てながらも、派閥外の優秀な人材も登用する。ここが、優秀なリーダーと無能なリーダーの大きな差である。優秀なリーダーは社会のリソースを無駄にしない。
まだ大学院生の頃、上長が、アトランタオリンピックの開会式で国歌斉唱をしたのがカナダ人の歌手であったことを絶賛していたことがある。日本ではありえないことであり、ここが米国のすごいところだ、と言っていた。当時、私にはよくわからなかったが、今ならわかるように思う。
野村幸世(星薬科大学医療薬学教授)[リーダー][問題]