2021年以降毎年、日本公衆衛生学会総会においてドキュメンタリー映画「終わりの見えない闘い」の上映が行われている。2024年は札幌での開催にあたり、オープニングには国際医療人合唱団有志による「大地讃頌」のコーラスがあり、シンポジウムや講演も北海道ならではの人畜共通感染症やワンヘルス、アイヌの精神文化をテーマとしたものがあった。
ここ数年の感染症一色だった総会に比べ、母子保健や精神保健分野の報告等も復活しつつある中、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する内容は対応の振り返りや検証、そして「感染症予防計画」「健康危機対処計画」の策定などにシフトしていた。
これまで、ドキュメンタリー映画を上映しても、前線で対応した当事者ばかりが集まるこの学会では、当時のことを思い出すのがあまりに辛く、痛々しくて映像を見ることができないといった意見も多く、語り合うための自由集会を設けても人が集まらなかった。
しかし今回は、上映前に県、市、特別区、各レベルの保健所におけるCOVID-19対応記録保存に関するシンポジウムを開催し、客席と意見交換する時間があったこともあり、多くの人にこの映画を鑑賞して頂くことができた。また活発な質疑の中で、対策に関わった方々からは、以前にはなかった「誰かに話を聞いてもらわないと気がすまない」といった気迫が多々感じられた。このような変化は、保健所や医療機関に限った状況でもないだろう。
感染症危機対応を戦争にたとえることは望ましくないかもしれないが、「外来の脅威」に対し、いかに効率的かつ効果的に対処するか、という点において、危機管理の特性に関する考え方や組織の動かし方に、軍事的な概念や方法論を適用することができる部分も多い1)。一方で、感染症の中でも、特に新興感染症が相手の場合には、「未知との遭遇」が原則であり、既存の対策を試みつつ、情報収集・分析・評価を行い、軌道修正した対策を再度試みる、といった不断の作用・反作用を無限に繰り返さなければならない。これが正に「終わりの見えない闘い」であって、不毛感や徒労感が人々を蝕むのである。
この4年間において、それぞれの立場で、それぞれの闘いがあり、PTSDのような状態に陥り、自分の経験した辛さは誰にも理解されない、という思いに苛まれている人も多いことだろう。時間を経てやっとその思いを語ることができるようになった今、癒しのためには素のままで話を聞いてもらえる場の提供や、当日の思いを共有できる経験者同士によるピアサポート的な機会等が有効なのではないかと思う。
それは一種の「喪の作業」というのだろうか。私自身も、次々と辞めていった同僚たちのことを語らずにはいられないことがある。コロナ禍前に戻ることができるわけではないが、語るたびに、辞めていった同僚たちのためにも二度と同じことを繰り返さないよう、平時こそ備えに力を注がなければと誓う。
※本文は個人的な見解に基づく内容であり、組織の見解を代表するものではありません。
【文献】
1)阿部圭史:感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理. 東洋経済, 2021.
関なおみ(国立感染症研究所感染症危機管理研究センター危機管理総括研究官)[COVID-19][ナラティブセラピー]