【Q】
アルコールには気分を落ち着かせたり,陽気にしたりする作用があります。しかし,うつ病を併発していたり,多量飲酒によって抑うつ状態を生じたり,酩酊を生じると,自殺のリスクが高まることがあります。
このような事実は精神科医の間ですら十分に知られておらず,アルコール外来で診療をしていると,適切な断酒指導を受けないままうつ病が良くならずに経過している事例に遭遇します。アルコール外来にたどり着いた事例は幸運な事例ですが(断酒すれば回復する場合が結構多いのです),断酒指導が行われないと悲劇的な結末─自殺─になりかねません。このような「死のトライアングル」について,調査・研究や啓発活動に精力的に取り組んでおられる国立精神・神経医療研究センター・松本俊彦先生に知見の紹介などをお願いします。
【質問者】
猪野亜朗:かすみがうらクリニック副院長
【A】
自殺対策というと,ともすれば「うつ病の早期発見,早期治療を!」という話か,さもなければ,「過労防止と景気対策を!」という話になります。もちろんどちらも重要な問題ですが,働きざかりの男性の自殺予防に関しては,もうひとつ大事な問題があります。それは,アルコールです。
私たちの心理学的剖検調査(自死遺族からの聞き取り調査)では,働きざかりの中年男性の自殺にはアルコール問題が関係していることがわかっています。アルコール問題を抱えた男性自殺者の多くは,経営不振にあえぐ自営業者や零細企業経営者でした。彼らは,将来への不安を抱えて不眠を呈し,これをアルコールで紛らわす生活を送っていました。
中には,既に精神科で治療を受けていた人もいました。しかし,その治療内容を調べてみると,いずれも「うつ病」に特化した薬物療法や生活指導にとどまり,アルコール問題は看過されていました。そしてある日,彼らは自殺したわけですが,全員,飲酒酩酊下で行動に及んでいました。
アルコール依存症と自殺が密接な関係にあるのは言うまでもありません。しかし,依存症未満の「飲みすぎ」,時には正常範囲内の飲酒でさえも,自殺リスクを高める危険性があるのです。理由は以下の4つです。
第一に,繰り返される深酒や酩酊が,失職や逮捕,離婚をまねき,人を経済的に追い詰め,社会的に孤立させます。第二に,連日の多量飲酒は二次的にうつ状態を引き起こし,既にうつ病に罹患している人の場合には,さらに病状を悪化させます。第三に,アルコールは抗うつ薬や睡眠薬の効果を減じてしまい,せっかく精神科治療につながっても,未治療と変わらない事態を引き起こします。そして最後に,アルコールの薬理作用は人の衝動性を高め,自殺に対する恐怖感や自分を傷つけることへの抵抗感を減じてしまいます。
私は,国や自治体は,「悩みを抱えているときには飲まない」「飲みすぎない」「精神科治療中は禁酒」の3カ条を広く啓発すべきであると考えています。それから,精神科医はもっと患者の飲酒状況に注意を払うべきです。特に「中年男性のうつ病を診たらアルコールを疑え」を肝に銘じるべきでしょう。事実,私たちの調査では,精神科通院中の40~50歳代の男性うつ病患者のうち,3割あまり(「依存症」水準13.4%,「乱用」水準18.7%)は,治療を要するアルコール問題を抱えていることがわかっています。
ただ,だからといって,飲酒をやめない患者を叱責しないで下さい。依存症からの回復に必要なのは,医師の粘り強さと思いやりのある態度,それから具体的な情報です。ぜひ本人と家族に,専門医療機関や精神保健福祉センター,保健所などの社会資源に関する情報を伝えて下さい。
▼ 松本俊彦:アルコールとうつ・自殺─「死のトライアングル」を防ぐために. 岩波書店, 2014.