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看取り時における点滴の必要性【患者や家族との十分な話し合いの中で決めるべき】

No.4800 (2016年04月23日発行) P.58

長尾和宏 (長尾クリニック院長)

登録日: 2016-04-23

最終更新日: 2018-11-27

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【Q】

がん末期だけでなく認知症,老衰の進行した高齢者に対する胃瘻,点滴などの栄養補給の必要性(是非),看取りの時期の点滴の是非について,長尾クリニック・長尾和宏先生のご教示をお願いします。
【質問者】
吉澤明孝:要町病院副院長

【A】

終末期における輸液および人工栄養の是非に関するご質問に回答します。がんの終末期において過剰な輸液を行うと,余命を短縮し苦痛を増すことは多くの論文で報告されてきました。したがって,どの時点まで水分・栄養補給を行うかは重要な課題です。また,がんの終末期にブドウ糖依存性の高カロリー輸液を行うことはがん細胞に栄養を与え,その結果,死期を早めることを知る必要があります。
一方,石飛幸三医師は特別養護老人ホームにおける胃瘻の多さへの疑問から,老衰や認知症の終末期を自然な経過に任せる「平穏死」を提唱されました。私も「平穏死」という言葉がタイトルに入った一般書や専門書を数冊書いてきました。
平穏死を一言で言うと,「枯れる」ことです。がんでも認知症でも老衰でも,終末期の過剰な輸液は,心不全や肺水腫による呼吸困難をきたします。医療者がそれに気がつかず大量の酸素吸入を行うことが多いのですが,点滴だけでなく酸素吸入も不要であると考えます。「枯れる」ことのメリットを理解し,「待って見守る」ことができる医療者がいてこそ,平穏死,すなわち穏やかな最期がかなうのです。詳細は自著『犯人は私だった! 医療職必読! 「平穏死」の叶え方』をご参照下さい。
一方,がん患者だけでなく高齢者においても余命があると考えられる場合,サルコペニア対策が謳われています。平穏死という概念は決してそれを否定するものではありません。ただ,どこまでが治療期でどこからが終末期なのかの判定が臨床現場では難しいことが多く,最期の最期まで過剰な輸液が行われてしまうことがあります。終末期は医療者が判定してきたのでしょうが,今後は患者さんの気づきをベースにした多職種での複数回の話し合いで意思決定支援を行うべきでしょう。すなわち,終末期の判断はアドバンスケアプランニング(advance care planning:ACP)に含まれるプロセスと考えます。その土台に早期からの緩和ケアが必要であることは言うまでもありません。
在宅医療の現場では過剰な点滴を行わないことが多いです。しかし点滴がゼロの場合,家族が「餓死させた」というトラウマを背負うことがあります。特に日本では,「点滴文化」が根強いと思います。したがって,終末期の点滴はするかしないかの二者択一ではなく,患者や家族との十分な話し合いの中で決めるべきでしょう。
筆者は,高度な腹水や胸水がある場合を除き,終末期に200mLの点滴を行うことが多くあります。それで家族が「最期まで医療を施された」と納得される場合も少なくありません。しかし,亡くなる1~2日前には自然に止める場合が多いのです。終末期の医療は理屈で割り切れないことが多いので画一的に考えず,十分な話し合いで納得・満足が得られる医療を提供すべきと考えます。

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