【Q】
産業医向けの書籍などで,「使用者には『安全配慮義務』が存在し,労働者にも『自己保健義務』が存在する」と,対になって論じられているのをしばしば目にする。人事担当者向けの書籍等ではこの「自己保健義務」について触れているものは少ないように思える。「自己保健義務」は,安全配慮義務と同様に確立された概念と考えて差し支えないものか。 (東京都 Y)
【A】
労働安全衛生法(以下,「安衛法」という)は,事業者に対して各種の措置義務を定めるとともに,労働者に対しても同法第26条において,「労働者は,事業者が講ずる措置に応じて必要な事項を守らなければならない」と定めて,労働者にも罰則付きで遵守義務を課している。
例えば,事業者に「労働者に作業帽(略)を着用させなければならない」(労働安全衛生規則第110条第1項)と定め,労働者に対しては,「作業帽の着用を命じられたときは,これらを着用しなければならない」(同条第2項)といった具合である。
また,健康障害の防止措置としての保護具の使用に関しても,「労働者は,事業者から当該業務に必要な保護具の使用を命じられたときは,当該保護具を使用しなければならない」(同規則第597条)として労働者の自己自身の使用義務を規定している。
このように,安全管理に関する労働者自身の義務を「自己安全義務」と言い,健康管理に関する労働者自身の義務を「自己保健義務」と言う。
特に,健康管理は,労働者自身の身体や心の内面の問題であるから,労働者自身も自分の健康を自分で保持する行動をとらない限り,使用者側では措置できないという面があり,労働者の自己保健義務の履行は重要となっている。
そこで,健康管理の基礎となる健康診断についても,「事業者は,労働者に対し,厚生労働省令で定めるところにより,医師による健康診断を行なわなければならない」(安衛法第66条第1項)と定め,「労働者は,前各項の規定により事業者が行なう健康診断を受けなければならない」(同条第5項)と労働者自身の義務を定めている。
安全配慮義務に関しても,使用者側には労働契約上の労働者の健康保持義務として,「使用者は,労働契約に伴い,労働者がその生命,身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう,必要な配慮をするものとする」(労働契約法第5条)とされているが,これは労使間の信義則上の義務に基づくもので,労働者側も同様に「信義に従い誠実に,権利を行使し,及び義務を履行しなければならない」(同法第3条第4項)こととなるので,自己保健の履行は重要である。
特に労働者のメンタルヘルスについては,「心の健康」問題でもあり,本人のプライバシーの領域に属するものであるだけに,労働者自身が使用者のメンタルヘルスケア措置に協力し,自分自身の健康保持のために努める自己保健の必要性がより強く求められている。
健康管理は,単に会社に出勤している間だけのものではなく,私生活上の行為も大きく左右する。そこで,健康管理の性質上,安全配慮義務については当然のことながら,「使用者として,具体的な労務指揮又は機械,器具の提供に当たって,右指揮又は提供に内在する危険に因って労働者の生命及び健康に被害が発生しないように配慮する義務があると解するのが相当であり,右労務指揮の場面を離れて,労働者の健康一般につき無制限の配慮義務が使用者にあると解することはできない。労務指揮に関係がない場面における健康確保は労働者自身がその責任においてなすべき事柄であると解するのが相当である」(昭48・5・23東京地裁判決,NHK事件,判時706号)と労働者の自己保健責任が判示されているところである。
また,今回改正された安衛法のストレスチェック制度でも,労働者のプライバシーに配慮して検査結果について,「この場合において,当該医師等は,あらかじめ当該検査を受けた労働者の同意を得ないで,当該労働者の検査の結果を事業者に提供してはならない」(同法第66条の10第2項)とされている。そこで,労働者が検査結果を事業者に提出しなければ,事業者としてはその後の医師の面接指導などの義務について対応することができない。このようにメンタルチェックについては,労働者自身の責任にかかる自己保健義務に委ねられることになる。
なお,ご質問のような疑義が生ずるのは,上記の通り,労働者に自己保健義務があることは明らかであるが,自己保健義務の範囲,内容,その違反の効果について使用者の安全配慮義務の免責や縮減の関係(過失相殺など)の問題に関し,学説や判例などで諸説があり,これらが現在のところは流動的で確立していないという状況があるからと思われる。