【Q】
国内で渡航者外来を担当していると,渡航医学に対する認知度が国内でも高まってきているように思います。しかし,渡航者外来を受診するのは興味を持っている人たちだけなので,本当のところ,どこまで関心が高まっているかわかりません。海外で健康問題を抱えた日本人を治療されているお立場からみて,日本人渡航者の渡航医学に対する理解度は上がってきているでしょうか。もし上がっていない場合,どのような点が欠落しているとお考えでしょうか。今後の診療に生かしていきたいと思いますので率直なご意見を,ホーチミンインターナショナルSOSクリニック・河野有香先生にお願いします。
【質問者】
小川 拓:奈良県立医科大学附属病院感染症センター
【A】
日本人渡航者は何を渡航外来に期待されているのでしょうか。
渡航の目的は,おおまかに観光,駐在,帯同,永住に分類されます。観光客には,短期間の渡航期間の帰国可能になるまでの症状の緩和と治療を行うことが中心になります。駐在員では,予防接種を含む駐在期間中の健康管理と渡航前からの継続加療を行います。帯同者は駐在者に似ていますが,子どもの成長と発達や不妊治療・妊娠出産の手伝いなども加わります。永住者の場合は最期まで,となります。ご遺体の日本への搬送の手伝いもさせて頂いております。
以上のことから,渡航医学は「ゆりかご以前から墓場まで」,渡航者に対する包括的医療と考えます。決して予防接種外来ではありませんし,ましてや観光客へのコンビニ医療でもなく,コミュニティーの健康づくり全般をめざしております。では,医療者側の準備は万全でしょうか。残念ながら,海外での邦人向け診療でも,医師の限定された知識や技術のせいで受診者に不便や不利益を強いている状況を多く見聞します。また,予防接種についても説明が施設間でまったく異なることも,少なくはなっていますが存在します。
ひるがえって,前任者や周囲の渡航経験者の武勇伝を過信して渡航前準備が明らかに不十分なままの危険な行動がしばしば見受けられます。また,観光を目的とする渡航の場合,ツアー会社が商品の健康リスクを過少に見積もって消費者に伝えている場合もあります。責任を取れないような結末を引き起こしうるポエティックなセールストークは危険性が高く,常日頃より危惧しております。さらに,渡航前に海外医療保険に加入することなく駐在した結果,毎年,日本人が適切な医療を受けることなく命を落としています。
どこか1つの点に原因があるのではなく,様々な要因が重なって渡航医学の理想との乖離が日常的に起こっています。個人的には,理想の追求よりもあまりお節介にならぬよう,1人ひとりのクライアントに喜んで頂ければそれで十分だと思っておりますが,観光や出張スケジュールをみっちりこなした後の診療終了1分前の来院や,それに伴う時間外診療が続くと,家族への責任はどこかに吹き飛ばされてしまい,希少な医療資源としての日本人医師を大切に活用して下さっている在留邦人の方々への責任も果たせなくなるほどの疲労の蓄積に苛まれることがあります。
私を含め,在留邦人は意外に過酷な条件下で暮らしております。たび重なる「このくらいなら大丈夫だろう」で,1万人以上の在留邦人コミュニティー全体の不利益につながってしまうことを避けて頂けると,もう少し皆さんの役に立つ質の良い仕事ができるでしょう。
クライアントと医療者の好循環ができ上がれば,渡航医学への期待も関心も増えるのではないかと期待しております。