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相良知安(11)[連載小説「群星光芒」266]

No.4855 (2017年05月13日発行) P.64

篠田達明

登録日: 2017-05-14

最終更新日: 2017-05-09

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  • 弾正台に監禁された相良知安の許に同僚の岩佐 純が面会にきた。岩佐は牢格子越しにボードインが帰国した後の大学東校が揉めている話をした。

    「大学には未だにドイツ人教師が来朝する知らせはなく、しびれを切らした医書生たちが騒ぎだした。大阪の医学校へ転校するとか、長崎医学校へ行くのだという医書生もいて、大学側はふたたび窮地に追いこまれた。たまたま横浜にマッセというフランスの外科医が観光にきていたので、彼に頼んで講義をしてもらい急場をしのいでいるが、先の見通しはつかない」

    そんな岩佐の話に見張り番は安心したのか、その場からいなくなった。

    すると岩佐は「済まない」と知安にむかって項垂れた。

    「我々はおぬしの無実と釈放を各方面に頼んでいる。今しばらく辛抱してほしい」

    それから周囲に届かぬよう声をひそめ、
    「弾正台長の河野敏鎌殿は土佐藩旧守派の先鋒で、おぬしのことを主君山内容堂侯を辱めた無礼者と憤慨している。土佐藩士らも、容堂侯が脳卒中をおこして倒れたのは相良のせいだと恨みを抱いたのだ。藤堂屋敷の病院から追放された薩摩藩医らは、未だにおぬしを目の敵にしている。市中の和漢医らは、おぬしが西洋を崇拝して朝議にドイツ医学を唱導した奸臣なりと、河野台長の尻押しをしているから厄介だ。洋医を仇敵視しておぬしを邪魔者とみなす漢方医の権田直助や井上頼圀も結束して、おぬしの失脚を謀ったようだ」

    岩佐は用心深く周囲を見回してから、
    「もともと連中が逆恨みをしてでっちあげた事件だ。いずれ、おぬしが裁きを受ければ無罪放免になるのはまちがいない。ひと口に薩長土肥というからには手前も元佐賀藩の有力者たる大隈重信殿や副島種臣殿らにおぬしの釈放方を頼んでみよう」

    岩佐はそんな慰めの言葉を残して帰っていった。

    仮妻のお定は毎日のように監禁部屋に面会にきた。

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