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大村益次郎(7)[連載小説「群星光芒」276]

No.4865 (2017年07月22日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2017-07-23

最終更新日: 2017-07-18

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  • 「ことにオランダの奴は何だ。小さい癖に横風な面をしている。これを撃ち払うのは当然だ。長州の領民はことごとく死すとも許しはせぬ。どこまでもやるのだ!」

    口角から泡をとばす村田蔵六の剣幕に、
    「とても穏和だった以前の村田君ではないぞ」

    と福沢諭吉をはじめ、居合わせた門人たちはだれもが愕いた。

    かつては蔵六も蘭学者の立場から、
    「攘夷の意気込みだけで改革を貫徹するのはむずかしい」

    と国許の藩士たちに説いていた。

    しかし赤間関(下関、関門海峡)で長州藩が直面している国難に対して、適塾後輩の福沢諭吉が「いまどき攘夷とは気狂い沙汰だ」と貶す態度にカチンと来た。

    紛争の場から遠く離れた江戸に居て、ただ論評するだけの門人たちにも腹が立った。

    諭吉が指摘したように、蔵六も適塾にいた頃とは人が変わったことを自覚していた。下関攘夷戦争の厳しい現実に、郷土を愛しこれを守る意識が胸に漲りだしたのだ。

    元治元(1864)年7月、いわゆる「禁門の変」が生じた。

    長州藩改革派が形勢を挽回しようと京都守護職松平容保の率いる諸藩の兵と蛤御門で戦った重大事件である。

    日ならずして改革派は敗れたため長州藩は朝敵となり、幕府は敵対する長州を討つ絶好の名目を得た。

    7月28日、朝廷は長州追討の勅命を下し、前尾張藩主の徳川慶勝に長州征討総督を命じた。

    征討軍参謀に任じられた薩摩藩士の西郷隆盛は、戦争をするよりも長州藩の内部を分裂させ、幕府寄りの保守派を台頭させることによって政治的解決を謀った。

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