【Q】
老健施設の勤務医。あるESBL(extended–spectrum β–lactamase)産生菌陽性の入所者が,ほかの老健施設や特別養護老人ホーム,療養型病院に移ろうとした際に,いずれもESBL産生菌が陽性であるという理由で断られてしまった。このような場合,感染症状がない保菌者の状態でも,抗菌薬で陰性化を図ってもよいのか。(神奈川県 H)
【A】
ESBL産生菌の除菌を目的として抗菌薬を投与すべきではない。除菌のための適切な抗菌薬投与法が確立していない上に,ほかの多剤耐性菌の保菌・感染症をまねく危険もある
一般に,耐性菌の保菌は入院・入所拒否の正当な理由とは認められない1)。かつて,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)検出患者において同様の状況がしばしば見受けられ,問題となっていた。耐性菌保菌を理由とした診療受け入れ拒否は,急性期病院における細菌検査実施を躊躇させる原因となり,患者に適切な抗菌薬が投与されずに予後の悪化をまねく,あるいは耐性菌保菌が認識されなかったために適切な感染対策が実施されずに耐性菌の拡散をまねくなど,すべての患者・医療機関に不利益を招来しかねない。
かつては,ESBL産生菌の検出は主に入院患者から分離された肺炎桿菌からであったが,2000年以降は大腸菌におけるESBL産生菌の増加が世界的な問題となっている。厚生労働省と国立感染症研究所が運営する院内感染対策全国サーベイランスであるJapan Nosocomial Infections Surveillanceのデータによると,2012年の全国の大腸菌分離株のうち16.6%は第3世代セファロスポリンであるセフォタキシムに耐性となっており,この多くはESBL産生菌であると推測される。
海外では,市中感染症の患者からもESBL産生大腸菌がしばしば分離されることが報告されている2)。わが国におけるESBL産生大腸菌による市中感染症の頻度に関する質の高い情報は少ないが,Chongら3)は,九州の単一中規模医療機関において,外来で分離された大腸菌におけるESBL産生菌の割合は,2003年には1.2%であったのが,2010年には10.3%,2011年には14.3%まで上昇していたことを報告している。単一施設の報告であるため,ほかの地域・医療機関においても同様であるかどうかは不明であるが,このほかにも,わが国において,市中で生活する健常者も稀ならず消化管内にESBL産生大腸菌を保菌しているとの報告もあり4),ESBL産生大腸菌はある程度,市中で拡散している状況にあることが示唆される。
臨床的な培養検査においてESBL産生菌が最も高頻度に検出されるのは尿である。一般に,尿から検出された細菌は,上部尿路感染症症状(高熱・肋骨脊柱角叩打痛など)や下部尿路感染症症状(ほかの理由によらない頻尿・排尿時痛など)がない限りは,「無症候性細菌尿」と称され,抗菌薬投与の対象とはならない(妊婦,侵襲的尿路処置を受ける患者などは除く)5)。
ESBL産生菌については,そもそも除菌のための適切な抗菌薬レジメンが確立していない。仮に全身抗菌薬を用いて尿中のESBL産生菌を除菌できたとしても,同一患者が消化管内にもESBL産生菌を保菌していれば,それを除菌することは困難であると推測される。
Huttnerら6)は,消化管の除菌のために非吸収性の経口抗菌薬であるコリスチン,ネオマイシンを投与し,尿の除菌のためにニトロフラントインを用いる抗菌薬レジメンの有効性を二重盲検ランダム化比較試験で検証し,一時的にみられた除菌効果も投与終了7日後には消失していたことを報告した。また,別の研究では,新生児の壊死性腸炎の予防目的のコリスチン投与により,ESBL産生菌の保菌が防止できなかったばかりか,ESBL産生かつコリスチン耐性の肺炎桿菌の増加をまねいたと報告されている7)。
○
ESBL産生菌の除菌治療は効果が実証された投与レジメンが存在せず,逆に投与した抗菌薬に対する耐性菌の増殖をまねく可能性があるため,現在においては推奨されない。ESBL産生菌保菌患者を医療機関から排除するという方法は正当性がないばかりか,市中にある程度の頻度でESBL産生菌が拡散していることが想定される現状では実現可能性が乏しい。ESBL産生菌などの多剤耐性菌保菌患者の存在を前提とした標準予防策・手指衛生の徹底と,施設の特徴や患者リスクに応じた適時の接触予防策実施を施設の耐性菌対策の基礎とすべきである1)。
1) 平成24年度厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業分) 介護施設の重度化に対応したケアのあり方に関する研究事業 高齢者介護施設における感染対策マニュアル. 2013.
[http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/osirase/ tp0628-1/dl/130313-01.pdf]
2) Rodríguez-Baño J, et al:Arch Intern Med. 2008;168(17):1897-902.
3) Chong Y, et al:J Med Microbiol. 2013;62(Pt 7):1038-43.
4) Luvsansharav UO, et al:J Infect Chemother. 2011;17(5):722-5.
5) Nicolle LE, et al:Clin Infect Dis. 2005;40(5): 643-54.
6) Huttner B, et al:J Antimicrob Chemother. 2013;68(10):2375-82.
7) Strenger V, et al:Int J Antimicrob Agents. 2011;37(1):67-9.