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大村益次郎(15)[連載小説「群星光芒」284]

No.4873 (2017年09月16日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2017-09-16

最終更新日: 2017-09-12

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  • 「大村益次郎殿、容態急変」
    との報せが郷里の妻コトに届いた。

    コトは取る物も取り敢えず鋳銭司村を出立して大阪府医学校病院に向かった。

    二宮敬作の甥三瀬周三も早駕籠でやってきてシーボルトの娘イネとともに病床のかたわらで必死に看病をつづけた。

    しかし、高熱を発した益次郎の意識はついに戻らず、明治2(1869)年11月5日午後7時、不帰の人となった。享年46。

    妻のコトは臨終に間に合わず、病院長の緒方惟準が末期の水をとった。凶漢に襲撃されて2カ月後のことである。

    兵部大輔大村益次郎の遺骸は故郷の周防に葬られることになった。

    霊柩は妻コトをはじめ、吉富音之助と篠田武造ら数名の兵部省の部下たちに付き添われ、海路瀬戸内海を経て防府の三田尻港に向かった。

    一行が周防国吉敷郡に到着したのは明治2年11月15日の夕刻だった。

    その5日後、益次郎の遺骸は鋳銭司村(山口市鋳銭司)の円山に丁重に葬られた。

    益次郎を襲った8人の犯人は年の暮れまでに全員捕らえられた。

    かれらは長州藩や三河藩出身の元藩士、あるいは越後や信州の郷士だった。

    いずれも20代の急進的な攘夷主義者であり、「我々は新政府の欧化政策に憤慨しておる。その中心にいる大村兵部大輔と対論した上、差し違えようとしたのだ」と供述した。

    京都弾正台の海江田信義は裁判に際して、「かれらを名誉ある切腹にいたせ」と主張したが容れられず、犯人たちは全員斬刑に処せられた。

    ボードインの手術によって切断された益次郎の右脚は大阪天満の龍海寺(大阪市北区同心)にある恩師緒方洪庵の遺髪を納めた供養塔の脇に埋められた。それは生前の益次郎のたっての希望でもあった。

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