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松本良順(2)[連載小説「群星光芒」286]

No.4875 (2017年09月30日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2017-09-30

最終更新日: 2017-09-26

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  • 藩主松平容保侯の使者が帰ったあと、会津藩医の南部精一郎に頼んで門人の渡辺洪基、名倉知文、三浦 喚、小泉順英、山内徳三郎を日新館の頭取部屋に呼び集めた。江戸医学所出身の彼らは気骨に充ち、会津往きを自ら名乗り出た若者である。

    「お前たちはまことによくやった。だが会津中将の厳命でわれわれはこの軍陣病院を去らねばならん」

    わしがそう告げると、5人とも神妙な顔をして肯いた。

    「会津を出たら米沢へゆき、そこから最上川を下れば庄内藩まで辿りつく。奥羽諸藩は薩長に屈したが、庄内藩だけはなおも会津に与力している。酒田港も近くにあり、そこから北回り船に乗って江戸へ帰ることもできよう」

    そして彼らに申し渡した。

    「明朝早く庄内藩にむけて出発だ。それまでに後片づけと旅の荷物をまとめておくがよい」

    わしの父佐藤泰然は武蔵国川崎に生まれ、長じて江戸の足立長雋の医塾で学んだ。のちに長崎で蘭方修業をしてから両国薬研堀に蘭方外科を開いた。わしが幼い頃、父は下総国(千葉県)の佐倉藩に招かれて単身佐倉に赴き、順天堂医院を興した。

    その折、父は長女のツルを蘭方医の林 洞海殿と娶わせ、薬研堀の医院を洞海殿に譲った。洞海殿は長崎で父と一緒にオランダ医学を学んだ足立塾の後輩だった。

    薬研堀に残った母のタキは洞海夫婦と同居して長男の惣三郎と次男のわし、次女のキハを育てた。

    わしは16歳のとき佐倉順天堂に呼び出され、2年あまり父の叱咤を浴びながら蘭方外科の修業をした。乳癌、痔核、卵巣囊腫の手術なども手がけた。

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