医療機関が建て替えを行う場合、望ましいのは診療を継続しながら新院を建築する形だ。しかし用地の制約が大きい都市部では、一時的な移転が必要になることも多い。連載第5回では、高度な分割施工を用いることで診療への影響を最小限に抑えて新院へスムーズに移行したクリニックの実例を紹介する。【毎月第1週号に掲載】
東京・足立区にある横川レディースクリニックは、2007年に開業した許可病床19床の有床診療所。開業からはまだ約12年だが、居抜き物件を改修したため建物の築年数は50年を超えており、設備の老朽化が進んでいた。院長の横川智之さん(写真)は医療の質や患者の利便性、耐震性、事業継承などの観点から現地での建て替えの検討を始めた。
建て替えに当たっては、開業時の改修を担当した建築士が検討段階から参加し、診療の継続と現地建て替えの両立を実現する方策を探った。そこで目をつけたのが隣地にあったクリーニング店の敷地。同院の優良な経営状態から建て替えに協力的だったメインバンクが窓口となり、約100坪の建設用地を取得することに成功した。ベンゼンで汚染された土壌を改良する必要があり、500トン以上の土を入れ替えるといったハードルもあったが、現地での建て替えが可能になった。
同院の建設は、①第一期の工事で隣地に新院の一部を建設、②旧院を解体、③第二期の工事で新院の残り部分を建設、④2つの躯体をつなぎ合わせる―というプロセスで行われた。一定規模以上の建物を分割施工する場合は、隙間を挟んで複数の躯体に分けて設計する形が一般的。しかし同院は妊婦や新生児への配慮から、通常であればジョイント部分の金属で廊下などに生じる段差をなくし、2つの躯体が完全に一体化しているという特徴がある。完成時の構造計算も1つの建物として基準をクリアするよう行われている。
それを可能にしたのが、第一期工事で2つの躯体をジョイントさせる部分の鉄筋をあらかじめ建物の外側まで伸ばし飛び出す形にしておき、第二期で露出している部分の鉄筋につなぎ合わせるという施工上の工夫。横川さんの「工事の音や振動で入院中の妊婦さんに負担をかけたくない」という思いから、つなぎ目にあたる部分の第一期躯体の外壁には、十分な強度を持ち簡単に取り外しができる防火ボードを採用。診療への影響を抑えるための数々工夫がなされた。
横川レディースクリニックの1階部分の図面を上に示した。点線部分より上が第一期、下が第二期工事で建設した部分だ。点線に沿って取り外し可能な防火ボードが設置されていたことになる。第二期工事中 は、現在診察室になっているスペースの一部にエコーなどの検査室を充て、医療機関として必要な機能をコンパクトに集約した。
延べ床面積は旧院に比べ500㎡以上増加。病床数は旧院と同じ19床のため、動線や待合室(写真1)、2階以上の個室はゆとりある空間が確保できた。一方、旧院では手狭だった新生児室や授乳室は、病床数に対しかなり大きめに計画したものの分娩数が増加しているためピーク時には不足する可能性があり、目下の課題の1つになっている。
動線は受付を中心とした内周を患者が、外周をスタッフが使い、極力妊婦とスタッフが行き違うことのないよう工夫されている。
同院は、妊産婦に限らず地域の母子を総合的に診療したいという横川さんの方針から、内科と小児科も併設(写真2)。各科ごとに外来・待合室のゾーニングがしっかりとできており、棲み分けされているため人の流れがスムーズだ。産婦人科の有床診療所では義務化されていないスプリンクラーを全館で設置、安全面の対策にもコストを投じている。
同院の設計を担当したのは東京・本郷にあるMIA桜沢建築事務所(http://mia-sakurasawa.com/index.html)。クリニックを中心に全国で約150の医院建築を手掛けてきた。30年以上にわたり培ったノウハウを生かし、設計業務だけでなく開業場所の選定や医療圏のリサーチ、不動産関係の契約、銀行との折衝など開業コンサルタントとしての機能も有する。
桜沢建築事務所が設計する医院建築の特徴は、建築基準法が定める強度を25%上回る構造計算を“自主基準”としているところだ。これは「地域医療を支える存在のクリニックは、災害時に地域住民の避難場所となりうる強度を持つべき」という同事務所の設計方針による。
12月に竣工した5階建ての新院の出来栄えについて「満足している」と語る横川さん。
「桜沢建築事務所とは長年の関係性があるので、アットホームな居心地を感じさせる空間や必要な機能と配置、サイズ感などの希望を伝えて『あとはお任せ』という形でお願いしました。イメージ通りに完成したと感じています。ただ医院建築は完成して終わりではなく、診療しながら気になった点をその都度改善していくことが重要になります。そうしたことを見据え、設計以外にも幅広くいろいろなアイディアの引き出しを持つパートナーを選ぶことが大切になると思います」
2016年度の人口動態調査によると、全国の分娩のうち45.0%が有床診療所で行われている。有床診療所の施設数は減少に歯止めがきかない状態だが、分娩においては今後も重要な役割を担う。
「常に心がけているのは、地域の有床診ならではの妊婦さんにやさしい分娩を提供することです。不安を少しでも和らげるように、個室には木の素材を多用し、外来は淡い色調のインテリアでまとめるなど居心地を重視しました。一方で、現在の分娩には丁寧かつ緻密な診療が求められ、昔ながらの産院が成り立たなくなってしまっていることも事実です。病院レベルの高度で安心な周産期医療と身近さを兼ね備えたクリニックを目指していきたいと考えています」(横川さん)