その日、緒方洪庵は門人の日野葛民と連れ立って京都へ行った。葛民の兄日野鼎哉を通じて新町通三条上ル頭町の『除痘館』を訪ねるためだった。鼎哉は痩せ身の小兵だが、かつては外科の名手と謳われた偉才だった。53歳の今は体調がすぐれず隠遁の身ではあったが、洪庵と葛民を連れて除痘館主の福井藩医笠原良策に引き合わせてくれた。良策は色黒で顎の張った頑固そうな風貌の蘭方医だった。
「大坂に牛痘苗の分与をお願いしたい」
洪庵がそう申し出ると、良策は猪首を横に振り、
「痘苗はわが福井藩公用のものである。国許の許しを得ぬ前に貴殿らに分痘するわけにはまいらぬ」
「そこをなんとか」と重ねて頼んだが、良策は頑で容易に肯んじない。
みかねた鼎哉が脇から言い添えた。
「できる限り多くの痘苗を蓄えるには大坂への分苗が役立つはずじゃ。さすれば福井藩の痘苗を絶やさぬことにもなろう」
鼎哉の取り成しに良策も漸く承知したものの 「分苗を成功させるには『痘苗の種継ぎ儀式』を致さねばならぬ」といい、後日改めて大坂で分苗式を催すことになった。
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