No.5000 (2020年02月22日発行) P.30
神野正博 (社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)
登録日: 2020-02-23
1964年10月10日、東京オリンピックの開会式である。筆者は父母に手をひかれて晴天の国立競技場にいた。あの高揚した日本選手団の行進、聖火の入場と点火、ブルーインパルスによる五輪の雲…残念ながら、その後たびたび目にする記録映像と重なり、どこまでが現実なのか記憶にない。ただ、鮮明に覚えているのは、ホテルから乗ったタクシーの車窓に広がる真新しい首都高速道路、そしてホテルのロビーに鎮座する初めて見るカラーテレビだ。
東京が焦土と化した終戦から20年足らずして奇跡の復興なのである。そういえば、当時は「日本は国土も狭く、資源はない。しかも敗戦国だ。よその国より日本人は働かねばならない」と教育された。すべての産業においてあの時代の日本人は、日本の誇りを取り戻そうと、馬車馬のように学び、働き、経済の高度成長をもたらすのである。そして、エズラ・F・ヴォーゲルに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というご褒美を貰った途端に、高度成長は終焉を迎えていった。
その後、時代の中心を成す戦後生まれである団塊の世代とともに、多様性という名の下にそれまでの価値観が崩れていったのが平成の時代だろう。その最後に働き方改革である。2019年(平成31)年4月から順次施行された改正労働基準法により、全産業で労働時間短縮が叫ばれるのである。令和は働き方改革とともに始まったとも言えるかもしれない。
あえて聞く。資源のないわが国で働かずして成長は成し遂げられるのか?
労働生産性×労働時間=業績という式は誰もが納得できるものであろう。すなわち、これまでと同じ仕事(生産性)で時短ならば、その企業、病院の業績は下がる。時短の中で、これまでと同等、あるいはこれまで以上の業績を上げるためには労働生産性を上げねばならない。企業、病院の持続可能性のためには、「生産性向上なくして、時短なし」なのである。次回では「生産性向上」の本質について考えてみたい。
神野正博(社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)[働き方改革①]