高良斎は長じると養父の高錦国から江戸医学館多紀元簡の漢方書などを読ませられ、のちに専門の眼科医術を伝授された。
19歳のとき大坂道修町で眼科を開業する伯父高充国の勧めで長崎に遊学することになった。充国は杉田玄白に師事したことがあり、その伝手により長崎の通詞吉雄権之助の私塾で数年間オランダ語を学んだ。
良斎は肉付きがよく引き締まった身体つきをしていた。総髪に切れ長の目が鋭く、鼻は高く鼻翼の大きい、いわゆる濃い顔だった。吉雄塾で修業中、盗賊に襲われたが、一刀のもとに斬り倒したほど気骨があった。一時徳島に帰郷したが、来日したシーボルトの盛名を聞いて鳴滝塾に入門しようと再度長崎へやってきた。初めてシーボルトの面接をうけたとき、身の丈6尺余寸の恰幅のいい巨体に圧倒された。
「リョーサイ、おまえのショーゴク(生国)はどこか?」
シーボルトがゆっくりしたオランダ語で訊いたので傍らの通詞を通さずに解った。
「生まれは四国の徳島です」。そう答えると、シコク、トクシマ、と復唱してから、「今年、リョーサイは何歳になる?」と訊ねた。「25歳です」と歯切れ良くいうと、「そうか、わたしはおまえより3歳年長である」
とほほえみ、「なかなか流暢なオランダ語だ。だれに習ったのか?」と訊ねた。
「当地のヨシオ・ゴンノスケ殿に指導をうけました」と答えると、その場で入門を許可された。あとから通詞が「おぬしのザーメンスプラーカ(蘭語会話)がよかばってん、シーボルト先生に気に入られたごたる」と教えてくれた。
良斎が鳴滝塾に入門したとき塾内を案内したのは塾頭の二宮敬作だった。敬作は常人とは一風変わった風貌をしていた。平たくしゃくれた小顔に大きな丸い目と大鼻、小さく窄んだ赤い唇が目を引いた。
「塾生は塾頭と声をかけてきますが、蔭では狆さんと呼んでます」
敬作はそういって破顔した。その屈託のない表情はたしかに犬の狆ころを思わせたが、良斎は人懐こい彼に好感を覚えた。
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