私が研修医の頃には概念の片鱗すらなかった診断推論が今日,日常的に語られるようになったのは,その普及の一端を担った者として感慨深いが,学問として確立していくにつれて,一部の人しか理解できないニッチな領域に入りつつある懸念も抱いている。
診断方略と銘打った総合診療系の書籍にはシステム1,システム2,Semantic Qualifier,VINDICATE+P,種々のヒューリスティックバイアス名などが飛び交い,一般医家にとって難解な症例がこれらの外来語でさらに難解になっては本末転倒である。私自身,今も昔も実際の診断の大半は直感で行っており,方略を意識することはほとんどない。誤解を恐れずに言えば,これらの診断方略は後付けの大盤解説のための方便と考えてもらってよい。そもそも方略だけで診断できる疾患はひとつもない。診断はきわめて領域特異性が高く,ある領域の診断に長けた名医が別の領域で同様の診断力を発揮できるわけではないことからも明白である。
本連載では,医学生,研修医や一般医家向けに,診断推論をできるだけ平易に解説してみたい。次の症例検討会や診察から診断推論とやらをちょっとやってみよう,という気持ちになって頂ければ幸いである。
問診票から次の情報が得られた。
75歳男性,3カ月前からの高CRP血症
この症例について,この情報だけで診断してみよう。検査値異常が主訴となっているので,自覚症状に乏しいケースと言える。ただし,時に高齢者は我慢強く,あえて症状として訴えないことがある。これらを勘案して,直感で高齢者の慢性炎症性疾患の右代表であるリウマチ性多発筋痛症(polymyalgia rheumatica:以下PMR)を想起したとしよう。想起できたら速やかにPMRに感度の高い症候の有無を尋ねて,この疾患仮説を維持するか棄却するかを決める(☞31頁「感度と特異度」参照)。PMRに感度の高い症候は,その疾患名が表すように全身の筋肉痛である(良性発作性頭位めまい症など,疾患名に感度が高い情報が含まれていると助かる)。この患者は筋肉痛の存在を否定した。PMRにおける筋肉痛は疾患の定義であり,感度は100%に近いので,この段階でPMRを棄却して別の疾患仮説を立てる。
続いて直感で,あるいは高齢者の慢性炎症性疾患という理由で巨細胞性動脈炎を想起したとしよう。旧名である側頭動脈炎の通り,発症初期は強い側頭痛を生じるが,頭痛が治まった数カ月後に高CRP血症が発見された場合は,担当医だけでなく患者自身も頭痛と関連付けられないことがある。そこで,この1年間で頭痛を経験したか否かを尋ねてみる。患者はこれも否定した。頭痛も側頭動脈炎の本質的な症状であり,ほぼ感度100%と言えそうなので,さらに別の疾患仮説を立てたいところであるが,1年前の症状を覚えている高齢者ばかりではないことに加えて,近年,同様の病態は中サイズの血管である側頭動脈でなく,大血管を侵すタイプや明らかな虚血症状を呈さないタイプの存在が注目され,巨細胞性動脈炎として総称されるようになった。つまり無症状であったとしても巨細胞性動脈炎は否定できないのである。この場合,次のステップは血管の炎症を発見するための全身PET-CTとなるが,高額検査に踏み切る前にもう少し鑑別を拡げてみよう。この他に想起しうる高齢者の慢性または再発性炎症性疾患として,偽痛風,副腎不全,感染性心内膜炎,結核,悪性リンパ腫などがあり,患者から順次得られる情報がどれに近いのか判断しつつ,感度・特異度の高い質問を適宜放ちながら,疾患を絞り込んでいく。
この患者を担当したチームはPMRと巨細胞性動脈炎を疑い,それぞれ筋肉痛と頭痛を患者が否定したために,次いで感染性心内膜炎を疑ったが,身体診察や心エコー検査でも明らかな異常を認めず,私のもとへ相談に来た。私はヒトの思い込みの強靱さを経験していたので,患者本人が痛みを年のせいだと信じている場合,尋ねられても頑固に否定しうると考え,全身を裸にして診たかをチームに確認したところ,上半身は心音と呼吸音をしっかり聴くためにシャツをたくし上げて診察した,と答えた。それでは不十分だと感じた私は一緒に診察室に入り,上半身裸になってもらったところ,両肩から腕に貼ってある多数の湿布を確認した(図1)。患者に筋肉痛は存在したのである。上着を脱ぐのも一苦労だったので,その様子を目の当たりにすれば湿布を貼ってなくともPMRを疑えたであろう。時間はかかるが,診察室での衣服の着脱や移動は手助けせずに患者自身にやってもらい,一挙手一投足を観察する機会としたほうが良い。
診断をリウマチ性多発筋痛症(PMR)とし,少量のプレドニゾロン15mg/日を開始したところ48時間以内に発熱と,それまで年のせいだと信じていた全身の痛みが嘘のように消え去り,大変喜んで下さった。2年ほどでプレドニゾロンをテーパリングオフして現在に至っている。
この症例でチームは誤診したことを認識し,その理由は多忙だったために上半身を裸にしなかったことと,疾患を想起していたものの,痛みはないという患者の言葉を信じてしまったことを共有した。このチームはPMRの疾患スクリプト(疾患イメージを言語化したもの)である「高齢者の近位筋の痛みと慢性炎症」に併せて,「高齢者は慢性化した痛みを年のせいにして訴えないことがある」というピットフォールを確認して次の患者に臨むことになった。アンケート調査では3割の患者が嘘をついたことがあると答えており1),病歴情報には思い込みや誤った解釈に基づく情報だけでなく,意図的な嘘も含まれていることを認識しておく必要がある。