パターン認識を含めて用いる推論方略によらず,正診への大前提となるのが正しいキーワードの選択である。これまで紹介した症例のように,通常,主訴がキーワードとなり,難解な症例が集積する大学総合診療外来においても,主訴(+問診表)だけで,6割以上のケースで診断の当たりがつくことがわかっている1)。一方,これは残り4割のケースで主訴がキーワードになっていないことを示唆しており,倦怠感や発熱などの絞り込み効果の低い主訴はもちろんのこと,疾患特異性の高そうな情報でもキーワードに相応しくない場合がある。次のケースをみてみよう。
症例 58歳女性:心囊液貯留と発熱 2)
疾患を想起できない場合,診断推論の定石通りに全身症状である“発熱”ではなく,局所症候である“心囊液貯留”に注目するであろう。そうすれば解剖学的アプローチを用いるまでもなく“心臓”または“心膜”に病巣を限定できる。ところが心囊液貯留の鑑別を調べると多岐にわたるだけでなく,上位に感染症,膠原病,悪性腫瘍が入ってくる。つまり“発熱”をキーワードとして選択した場合と同じ推論労力が必要となり,“心囊液貯留”と“発熱”を掛け合わせても絞り込み効果は薄いことがわかる。
そこで別のキーワードを設定するために,もう少し情報を集めることにする。
この患者は3週前に胸痛を自覚し,痛みは消失したが翌日,かかりつけ医を受診したところ,超音波検査で心囊液を指摘された。最寄りの総合病院で胸部CT(図1)を含めた精査を行っても原因不明であり,2週後より発熱も出現したために当院を紹介受診した。
後医は名医という言葉があるが,実際には病期の進行に従って合併症や治療による修飾で症候が複雑化し,後医ほど診断に難渋することは少なくない。このような診断困難例の多くが情報過多に陥り,結果としてキーワードを誤ることが多いため,初期症候に着目する視点が重要である。
この症例の最初の症状である“胸痛”に注目して,その状況を患者に尋ねると,歯磨きの最中に出現していたことがわかった。何時何分と言えなくとも,特定の行為中に生じた痛みは突発したと考えるべきであり,詳しく尋ねると,口をゆすぐ間もなく痛みでうずくまったそうである。これは瞬時にピークを迎えた激痛を示唆しており,すぐに胸部大動脈解離が想起される。Stanford A型であれば心囊液貯留だけでなく,引き続いた発熱も血腫吸収熱で説明できる。その目で前医の胸部単純CTを見ると上行大動脈内に解離を疑わせる高吸収領域に気づくであろう(図1)。当科受診後に追加した胸部造影CTを供覧する(図2)。
一般に検査所見は病歴情報に比べて疾患特異性が高いが,本症例のごとくキーワードの選び方によっては病歴情報(突発した胸痛)が検査所見(心囊液貯留)を凌駕する絞り込み効果を発揮する場合がある。