症例 45歳,医療職:右季肋部痛
現病歴:半年前より右大腿部の有痛性皮下硬結を訴え,これまでも他の場所にできた硬結が摘出によって治ったため,今回も皮下硬結摘出目的で当院皮膚科へ入院中の患者。入院中に右季肋部痛が出現したために当科コンサルトとなる。以前から胆道ジスキネジアによる腹痛発作を繰り返しており,ソセゴン®以外は効かないという。
既往歴:ウェーバー・クリスチャン病(20歳よりステロイド長期内服,および十数回の皮下結節摘出),それに合併した腹腔内血管腫に対して開腹手術(腸管切除1回,開腹観察4回),両側大腿骨頭置換術(ステロイドによる無菌性骨頭壊死),胆道ジスキネジア。
身体診察:体温35.2℃,脈拍72/分,血圧95/ 70mmHg。右季肋部に圧痛あり。体動での悪化なし。マーフィー徴候陰性。カーネット徴候強陽性。腹部および四肢に多数の手術痕あり(図1)。
一般血液・生化学検査:異常値は軽度の小球性貧血のみ。
多数の手術痕を見たとき,特にそれが医療職患者であった場合は虚偽性障害,いわゆるミュンヒハウゼン症候群を想起しなければならない。外科的処置を最初から強く希望し,病巣を発見できない試験開腹を繰り返している場合も本疾患の確率を上げる。本疾患は麻薬濫用と強い関連があることが報告されており1),また本患者の既往歴であるウェーバー・クリスチャン病は多様な疾患の集合体で,30人中5人が人為的脂肪織炎だったという報告もある2)。
カーネット徴候強陽性は筋骨格系由来の腹壁痛を示唆しているが,心因性疾患でも強陽性となり(☞コラム1:カーネット徴候参照),本症例の右季肋部痛は体動で悪化しないことから,腹壁痛よりも心因性の可能性が高い。右季肋部痛の詳細について聞かれることを嫌がり,精神科コンサルトをほのめかすと怒りを露わにした。
皮膚科での部分切除病変の病理組織では石灰化のみで炎症細胞浸潤を認めず,ウェーバー・クリスチャン病に合致しなかったために,前医の病理所見を取り寄せる許可を取るため本人から電話してもらうように依頼したが,様々な理由をつけて連絡を取ることに難色を示した。病院スタッフの努力で何とか取り寄せることが決まると,皮下硬結摘出手術を即決してくれないことを理由に急遽自己退院していった。その後,前医には受診歴そのものがないことが判明した。
本患者は見破られる度に医療機関を転々とする30年来の虚偽性障害と考えられた。皮下硬結の分布も四肢近位部と腹部に集中しており,頭頸部,会陰部や手の届かない背部にはみられていない。一般に虚偽性障害には以下のような特徴がみられ3),本症例にすべて合致した。
・患者が医療について幅広い知識を持っている。
・診断検査や外科的処置を受けるのに熱心である。
・治療を行っても症状が軽減せず,むしろ悪化する。
・多くの病院を頻繁に受診した病歴がある。
・医師が過去に治療を受けた別の医師と話をすることに抵抗する。
・症状の自己誘発や病歴改変の証拠がある。
・偽りの症状を演じる動機が認められない。
・陰性の検査結果が戻ってくると別の病院に移ってしまう。
心因性疼痛とは身体的に痛みの原因を認めず,心理的,社会的な要因により生じる慢性疼痛である。うつ病,不安障害,虚偽性障害,身体症状症など,多くの精神疾患において痛みが主訴となることがある。ただし器質的な慢性疼痛は抑うつ症状を合併するので,うつ病の存在をもって心因性疼痛と判断してはならない。心因性疼痛の場合でも,抑うつによる疼痛抑制系の減弱により,実在する器質的疼痛を強く感じてしまっていることのほうが多い。
心因性疾患を前提に精神科を受診する患者とは異なり,器質性疾患に紛れ込んだ,あるいは器質性疾患と併存する心因性疾患を見抜くのは至難の業である。心因性疾患を制する者は総合診療を制する,と言っても過言ではないほど,その診断のハードルは高い。このため,まずは可能性が低い器質性疾患を含めて精査し,器質性疾患を除外した後に心因性と判断する診療になりがちである。
しかし,これは医療資源の乏しい環境では実現困難な方略であり,そもそもすべての器質性疾患の除外は不可能である。さらに器質性疾患除外のための相次ぐ検査は,肉体的,経済的負担に加えて, “医師は何らかの深刻な病気を疑って検査をしている”という解釈を生み,患者の不安を確信に変容させ,後に異常なしと判明しても,もはや訂正不能な心気的状態に陥らせてしまうことが少なくない(予言の自己成就※)。
このような心気的患者を生み出さないように,心因性疾患が少しでも疑われた場合は,器質性疾患精査後ではなく,診察初期の段階でその可能性を告げておかねばならない。
※予言の自己成就(self-fulfilling prophecy)とは?
予言の自己成就とは,思い込みにもかかわらず,その予期を実現するような行動を取ることによって,それが現実になる現象。
医師がある深刻な病気の可能性に対して検査を施行すると,その検査が高額であったり侵襲を伴うものだったりするほど,患者の疑いや不安が確信に変容し,実際に脳が当該の症状を作り出してしまう。たとえば筋萎縮性側索硬化症(ALS)を心配して受診した患者に,医師が筋電図などの痛みを伴う検査を繰り返すと,その検査が陰性であっても,患者は自分がALSに罹患しているという確信を深めてしまい,実際には存在しないはずの脱力が進行して日常生活を送れなくなることがある。