医療系の学生や新人の研修目標の中に、「患者さんの気持ちを傾聴して……」と入れるのは昔からの定番となっています。しかし、その学生さんたちに「じゃあ、あなたの言う『傾聴』って、具体的に何をすることなの?」と問うと、彼ら・彼女らは一様にきょとんとした顔をしてしまいます。それは「傾聴」という言葉の意味を、掘り下げて理解できていないからです。
この連載の中でも「傾聴」については何度か取り上げてきましたが、今回は「傾聴」を行っていく中でたどりつく境地「自他一如」について解説します。
「自他一如」とは、そもそもは仏教用語です。「この世に起きているあらゆることは、仏様という大きな存在から見ればすべて小さなことに過ぎず、その視点から見れば『自分』とか『他人』の区別なんていうのも小さなもの」という教え。それは「周囲の人が困っていても、自分さえ良ければいい」のではなく「自分ができる範囲のことをやって、それで周囲も幸せになればいい」につながっていきます。
「傾聴」でいうところの「自他一如」とは、このような大きな概念とは異なりますが、「自分が他者の痛みに反応して湧き上がる感情と、それへの気づき」を指しています。具体的に言えば、患者さんが感じた苦痛や悲しみについて、医療者も感情を動かされ「一緒になって体験する」ことです。そう言うと「それって患者さんに共感するってことですね」と言われそうですが、共感とは「相手の感情とひとつになってその感情を体験する」ことですから、「他者の感情に触れて湧く自身の感情」とは区別されます。医療現場では、共感のし過ぎは「共感性疲労」を起こしやすく、あまり使わないほうが精神的健康を守れるでしょう。「自他一如」の境地では、あくまでも「感情は自分のもの」ではありますが、目の前の人の悲しみ・苦しみを「自分ごとのように」感じて、それに突き動かされて行動する、ということです。
そのように、「自分ごと」となっている「傾聴」と、あくまで事務的に話を聞く「傾聴のようなもの」には雲泥の差がありますよね。宗教者が、修行によって「自他一如」の境地を体得できるのと同じように、医療者もこの境地を学習によって体得することは可能です。冒頭の学生さんたちも、よき指導者について、本当の「傾聴」を体得できるよう頑張ってほしいと思います。
監修:福島沙紀(臨床心理士・公認心理師)
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[他人の痛み][自分ごととしての感情]