今年も大学入試が行われている。東京大学でも2月25日、26日と2次試験が行われた。
先日、日本女性外科医会の勉強会で、アメリカの大学の入学者選抜に関し、名古屋大学名誉教授の大谷尚先生よりお話を伺い、大変感銘を受けた。アメリカでは、日本のような1回の試験の成績で選抜される、いわば一発勝負ではないのだという。大学には教員とは別に、入学者選抜を行う専門職員が多数おり、1年以上かけて入学希望者と何度も面談を行い、その入学希望者と大学がポリシーにおいて合うかどうかを検討し、双方で選び合うのだそうだ。その中で人物評価をされ、奨学金の額なども決定されるという。試験の成績はあまり大きな問題ではなく、学習は入学してからさせるもの、という位置づけらしい。ただ、入学後の進級は厳しく、定期試験に合格しなければ進級はできず、自主退学する者もいるそうだ。つまり、学習は大学に入ってからすればいいもので、入学の時点では、試験の成績よりも人間性が重視されているということのようである。
日本でも、以前に比べれば入学試験で人間性が問われるようにはなってきており、多くの医学部で面接が導入されるようになった。ただ、試験の点数が最も重要視されていることに変わりはない。以前から「たった1回の試験で」という言葉は聞かれているが、ここに改善は見られない。入学試験の成績とその後のパフォーマンスにはある程度の相関があるから、これでいいという感覚があるからであろう。私も進級の面接官は務めたことがあるが、確かにある程度は1回会っただけでわかる部分もある。しかし、受験生のほうも面接対策というのをやってきている者も多い。数年前の面接では、多くの受験生が医師になりたいと思った動機について「祖父がパーキンソン病で……」と答え、他の面接官と「パーキンソン病ってそんなに多い病気だっけ?」と語ったことがある。このような返答例が対策本に書いてあるのかもしれない。外来患者さんとのやりとりを考えても、やはり、1回でお互いにわかる部分は限度があり、定期的に通ってくるうちに、お互いの人間性や好みがわかってくるように思う。
大学と学生の合う、合わないも当然あるのではないかと思う。大学はアドミッションポリシー(入学者の受入方針)を公開しているが、私の受験生時代にあったかどうかは記憶にない。そもそも、私はアドミッションポリシーを見て大学を決めたわけではない。また、どのような謳い文句がアドミッションポリシーに書かれていようと、その大学の雰囲気は直接触れてみないとわからない部分が大きいと思う。人間として合う、合わないを重視し、大学も受験生もお互いを選択できるような社会になれば、偏差値一辺倒の大学の順位にも変化が見られるのではないかと思う。
野村幸世(東京大学大学院医学系研究科消化管外科学分野准教授)[入学試験][面談][アドミッションポリシー]