【Q】
妊娠に伴う脳卒中は子癇との鑑別が必要であり,臨床上重要です。その妊娠,産褥の時期との関連についてお教え下さい。また,患者,発症様式などに特徴はあるのでしょうか。特に,可逆性後部脳症症候群(posterior reversible en-cephalopathy syndrome:PRES)や可逆性脳血管収縮症症候群(reversible cerebral vasoconstriction syndrome:RCVS)を含めた診療の実際について,診療上の留意点も含め,トヨタ記念病院・伊藤泰広先生のご教示をお願いします。
【質問者】
鈴木理恵子:国立循環器病研究センター脳血管内科
【A】
妊娠・出産に伴う脳血管障害は若年性脳卒中で,高血圧,糖尿病などの動脈硬化性危険因子に起因する通常の脳血管障害の病態とは大きく異なります。
虚血性脳卒中である脳梗塞は,先天性や後天性の凝固・線溶系異常症が存在していることが多く,こうした素因に加え,妊娠によって母体が凝固亢進状態になることが発症を助長する可能性が指摘されています。同様な機序から,静脈系血栓症である脳静脈血栓症も妊娠時には生じやすくなっています。
出血性脳卒中では,脳動静脈奇形やもやもや病など,先天的・後天的に生じた異常血管からの破綻出血が少なくありません。また,脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血も妊娠中に生じやすいほか,動脈壁が内部で断裂して発症する脳動脈解離なども生じやすくなります。こうした脳卒中では,妊娠で母体体液量や心拍出量が増加することに加え,分娩時のいきみなど頭蓋内圧を亢進させる労作が脳血管に過重な負荷をかけ,脳血管の破綻をまねく機序が考えられています。
妊産婦の脳卒中は妊娠中期(14~27週)から後期(28週~)に起こることがほとんどで,多くは突然,意識障害や局所脳神経症候をきたします。
一方,子癇は妊娠高血圧症候群の病態の中で痙攣発作が起こったものです。妊娠高血圧症候群は,妊娠20週以降,分娩後12週までに妊娠が原因で高血圧が発症ないし悪化し,さらに母体の腎臓や脳などに臓器障害をきたす症候群です。妊娠高血圧症候群の病態は未解明の部分が多いのですが,母体─胎児インターフェイスとして機能する胎盤が妊娠初期から中期に形成不全をきたし,その結果,母体の血管内皮障害が引き起こされる機序が想定されています。特に,脳血管内皮が障害され,痙攣などの中枢神経障害を呈するのが子癇です。
子癇は痙攣の発症時期により,妊娠子癇,分娩子癇,産褥子癇に分類されます。ほかの先進諸国に比べ,わが国では妊娠子癇が少なく,分娩子癇,産褥子癇が非常に多い特徴があります。
子癇の典型例では,高血圧や蛋白尿などの妊娠高血圧症候群の症状を背景に,多くは痙攣発作の約1週間以内に前駆症状を認めます。中でも頭痛が最も多く,ついで閃輝暗点などの視覚異常が続きます。視覚異常は視覚情報をつかさどる後頭葉の機能障害を反映していると考えられています。
痙攣発作の前後には頭部CTやMRIで後頭葉を中心に脳浮腫を認める場合があり,可逆性後部脳症症候群(PRES)と言われます。これは脳血管内皮細胞障害が血管原性浮腫をまねく病態と考えられます。この所見の多くは可逆性で,数日から2週間以内に消退します。また,脳血管画像検査で多発性の脳血管収縮像を認める可逆性脳血管収縮症症候群(RCVS)を呈することがあります。RCVSはPRESよりやや遅れて顕在化し,2週間から1カ月ほど持続する傾向があります。
この両者の関連は未解明な点が多く,両者が合併することもあれば,各々単独でも出現します。ただし,こうした画像所見はすべての子癇症例で出現するわけではありません。なお,子癇でも重症例では強い脳浮腫から脳梗塞や脳出血を合併し,後遺症を呈したり,死亡する場合もあります。
治療はまずは一次予防で,適度な降圧の上,痙攣予防には硫酸マグネシウム(MgSO4)を使用します。痙攣時も,最初はMgSO4で対応します。子癇の最良の治療は妊娠の終了ですが,妊娠の継続・終了の判断は,母体の妊娠週数,胎児の発育状況をみて慎重に行います。
いずれにせよ,妊産婦が新たな神経学的症候を呈した際は産科,脳神経外科,神経内科を含め,集学的な診断と治療が望ましいと考えます。