自分の死について想像することは愉快なことではない。しかし,おそらくある年齢になると,誰しもが,無用な苦痛を避け安楽に尊厳を持って死を迎えたいと思いはじめるはずだ。日本救急医学会では,DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)を尊厳死の概念に相通じるものとして記載している。
最近のカルテを見ると,DNARと記載されているが,本当に患者さんが尊厳を持って死を迎えられるように処置がなされていたのかと疑問に思うことがある。予期せず患者さんの容態が急変したことに対応するためだったり,予測困難な死に対して医師自身の体力が追いついていけない場合だったり,必ずしも私たち医師のインフォームドコンセントが十分でない状況であったり。たとえばこれらの場面で,DNARの妥当性について十分な記述がないまま,「DNAR」と安易に記載される傾向はないだろうか?
医師は,DNARは患者さんの尊厳のための行為だということを繰り返し自分自身に言い聞かせるべきだ。
治療方針が患者さんごとに異なるように,DNARは患者さんごとの根拠を含んだ記述であったほうがよい。また,よほど病態がわかっている場合以外は,入院時には記載せず,しっかりとした病態把握・病状説明のあととするほうがよい。
DNARが患者さんの尊厳死を保障する一環であると考えると,その達成のためには,医師の生活の尊厳だって必要だ。病院に対しても,医師自身が快適に過ごせることこそが患者さんの権利を真に尊重することにつながると理解してもらおう。若手医師の体力や忍耐にも限度がある。時間的にも経済的にも余裕のある生活などが考慮されるべきだ。