ホルカン号は鹿島灘の波濤を乗り越え、5日後に横浜港の沖合に錨をおろした。
日暮れを待って艀船に乗り、外国人居留地のスネル商館に匿われた。
元号は慶応4(1868)年9月8日に明治と改まり、江戸は東京と改称された。
スネル商会に潜伏したわしは、この年の11月にスネルから「会津藩と庄内藩がとうとう白旗を掲げました」と聞かされた。
大晦日が迫ったその晩、スネル商会を出て横浜弁天町に住む実父佐藤泰然の家を訪ねた。表口が閉じていたので裏口の戸を叩くと、妹のフサが顔をだした。
「まあ、兄さん、今頃どうしたんですか」
吃驚したフサだが台所から中へ招じた。
「おお、良順、よくぞ、ぶじで……」
母のタキが涙ぐんで迎えた。
年老いた父の泰然は2階から不機嫌な顔つきでおりてきた。応接間の長椅子に腰を下ろすと開口一番、「会津へ連れていった門人たちはどうした?」と訊いた。
「庄内藩に残してきました」
父は眉間を顰めて顎をふるわせた。
「なぜ、お前だけ帰ってきた?」
「東京に西洋式病院をつくるためです」
「馬鹿者ン!」と父は頭ごなしに叱った。
「門人たちと帰らなかったのはどういう了見だ。ご両親になんといってお詫びする」
ぐだぐだ言訳するのは江戸っ子の名折れだ。わしはひたすら面目ないと頭を下げた。
「落ちぶれたとはいえ、元旗本が供も連れず裏口から入るとは情けない。泥棒猫のように逃げ隠れするのは幕臣としてもっとも恥ずべきじゃ」
「はい、以後、堂々と界隈を闊歩します」
「よくぞ申した。その覚悟があれば早々に自首いたせ」
「手前はすでに37歳です。いつ死んでも構いません。しかし薩長なんぞに自首するのはご免蒙ります。そのかわり相手が捕まえにきたら潔くお縄を頂戴します」
正月が明けると世話になった謝礼として会津侯より拝領した五郎正宗の名刀と唐国の牧谿が描いた手長猿の画幅をスネルに呈上した。スネルは目を輝かせて見入った。
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