編著: | 森下清文(市立函館病院 院長) |
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編著: | 栗本義彦(手稲渓仁会病院 副院長) |
判型: | B5判 |
頁数: | 320頁 |
装丁: | 口絵カラー |
発行日: | 2023年09月14日 |
ISBN: | 978-4-7849-6280-8 |
版数: | 第1版 |
付録: | 無料の電子版が付属(巻末のシリアルコードを登録すると、本書の全ページを閲覧できます) |
1 アクセス
2 イメージング
3 TEVAR の適応
4 コマーシャルデバイス
1 VALIANT 胸部ステントグラフトシステム
2 GOREⓇ cTAG 胸部大動脈ステントグラフトシステム
3 COOK Zenith AlphaⓇ
4 Relay PlusTM 胸部ステントグラフトシステム
5 カワスミNajuta
5 open conversion
6 エンドリーク
1 Type Ⅰ
2 Type Ⅱ
3 Type Ⅲ
4 Type Ⅳ
7 治療の幅を広げる技術
1 Parallel graft technique
2 candy-plug 法
3 physician-modified fenestration and branch artery re-construction
4 再充填 re-sheath
5 Squid capture 法による in-situ graft fenestration
6 percutaneous TEVAR ―closure device を中心に
7 左鎖骨下動脈および腹腔動脈の犠牲閉塞
8 特殊病態
1 大動脈解離
2 破裂性胸部大動脈瘤
3 感染性・炎症性胸部大動脈瘤
4 胸腹部大動脈疾患
5 supra/para-renal type の腹部大動脈瘤(AAA)
9 合併症(予防と対応)
1 脳塞栓症
2 腹部分枝および下肢塞栓症
3 脊髄虚血
4 逆行性A 型大動脈解離(RTAD)
5 distal stent graft-induced new entry(dSINE)
私が胸部大動脈疾患治療に手を染めて早30年が経ちます。1990年代初頭に,札幌医科大学で数井暉久先生が弓部大動脈疾患に対し,選択的脳灌流併用超低体温循環停止下に4分枝付き人工血管で全弓部大動脈を置換する方法の術式開発に余念がない時期に,そのグループに参加したのが始まりでした。
しかし,私が加わった時期は,早期手術成績の劇的な改善に触発されチャレンジングな症例に次々と挑み始めた頃で,術後縦隔炎の多発に悩まされていました。そのため,大網充填術やイソジン液の持続洗浄など,よいと思われることは何でも行いましたが,最終的には敗血症で失うことが多く,苦しく失意の日々でもありました。しかし,術式そのものに対する信頼は高く,時代を動かしているという高揚感には包まれていました。
その後,何年かが経ち,数井先生の跡を私が継ぐことになりました。その当時の我々のグループは緊急手術が多く,定期手術が終わる間もなく緊急手術をこなすという毎日でした。そして,2002年の師走のある日。朝からCrawford分類Ⅰ型の胸腹部大動脈瘤に対し,人工血管置換術を行っていましたが,昼過ぎにCrawford分類Ⅳ型の胸腹部大動脈瘤破裂が飛び込んできました。1例目の血管吻合はあらかた終わっていたので,チームを2つに分け,その破裂症例の人工血管置換術に取り組むことになったのです。しかし,そうこうしているうちに,今度は急性B型大動脈解離患者の搬入がありました。その時点では臓器虚血や破裂を合併していないので,まず降圧治療を選択することとしました。しかし,1時間ほどたった頃でしょうか,「降圧治療を行ったけど背部痛が消えない」とのコールがICUから術場にかかってきたのです。さすがに,さらにチームを分割し人工血管置換術を行う余裕はなく,1年半ほど前から症例を選んで施行していたステントグラフト留置術(TEVAR)を行うことに決めました。ステントグラフトを留置しても症状が消えなければ,人工血管置換術を行おうとの算段です。いわば,時間稼ぎができればという心づもりでした。この当時,もっぱらステントグラフトを自作してくれていたのが,共編者の栗本義彦君です。今から振り返ってみると,ステントグラフトでプライマリーエントリーを閉鎖したので偽腔の減圧ができたのでしょう。症状が消え急場をしのぐことができました。しかしその頃は,解離を起こした脆弱な組織にステントのような硬い金属を放置すべきではないと考えていたので,急性期を過ぎるとすぐに人工血管で置換してしまいました。もう少し,長い期間,経過をみていれば,リモデリングを経験できたかもしれません。いずれにせよ,急性B型大動脈解離の治療にひとつのオプションが加わったのです。
このように,多数例の緊急手術を行っていた我々は,特に年齢上限は設けず,高齢者でも果敢に外科治療に挑んでいました。ただし,80歳以上の高齢者の早期成績は不良で手術死亡率75%,また手術を乗り切ったとしてもほぼ寝たきりの状況で,最終的にはそれらの患者もすべて1年以内に亡くなるという惨憺たる有様でした。そして,2004年秋のある日。我々の教室の安倍十三夫教授が日本胸部外科学会総会を札幌で主催していた時のことです。その最終日に,関連施設から「83歳の胸部下行大動脈瘤破裂の症例を緊急に送りたい」という連絡がきました。当然,我々は学会運営に駆り出されており,人繰りの余裕がないことからTEVARを選択することとしました。
当時,欧米から胸部下行大動脈瘤破裂の成績をTEVARが劇的に改善したという報告がありました。私もこの論文を読んでいたので,機会があればいつか試してみようと考えていました。そして期待通り,この患者は術場抜管となり,術後17日目には独歩で退院となったのです。余談ですが,医師であったその患者は,その後13年間,介護施設の長を勤めあげました。そしてこの症例以後,我々のグループの胸部下行大動脈瘤の治療はTEVARが第一選択となっていったのです。
しかし,TEVARの有効性は認めつつも,自作でステントグラフトを作るハードルは高く,その適応を大幅に拡大するというわけにはなかなかゆきませんでした。そして,そのハードルを崩してくれたのが,2008年の企業製品の導入です。2021年に全国で行われたTEVARの数は,日本循環器学会の調査によると8,000例を超えています。この大幅な治療経験の積み重ねにより,TEVARの適応は弓部大動脈疾患や胸腹部大動脈疾患にまで広がってゆきました。そして,その過程で様々な手技も導入されていったのです。前回,この教科書の姉妹編であるEVARの教科書を上梓した際は,ステントグラフト治療の初心者も意識し,技術面での記載内容に制限を加えました。具体的に言うと,グラフト本体への加工を加える技術は載せないようにしました。しかし,TEVARはEVARをある程度経験してから行う手技であることを考慮して,今回はこの制限を撤廃しました。
私が胸部大動脈瘤の治療に携り始めた1990年初頭に比べ,現在の年間外科治療数は10倍にまで膨れ上がりました。まさかその当時,全盛であった冠動脈バイパス手術数を凌駕するとは思いもしませんでした。この増加においてTEVARが果たした役割が大きいことは事実でしょう。しかし,エンドリークによる遠隔期イベント発生など,まだまだ解決しなければならない問題も山積みです。したがってこの分野は今後,治療法として益々の発展を遂げなければなりません。
本書は多くのエキスパートの先生方にご参加いただき, 様々な観点から現時点でのTEVARの実態について述べていただきました。日本は今後もしばらくの間,未曾有の高齢化社会を経験することから,まだまだ多くの胸部大動脈疾患を治療してゆかなければなりません。さらに,高齢で,より合併疾患をかかえた患者への対応が必要となるのです。その意味でもTEVARの果たす役割はますます大きくなるでしょう。本書を手にとられる読者の皆様も,これから様々な胸部大動脈疾患に関わってゆくはずです。そのなかで,この書が何らかの治療のお役に立てば,それは編者,著者にとっての大きな喜びとなります。編者として本書の構成,執筆者の選定は森下が行い,記載内容,動画のチェックは栗本が行いました。また,著者ごとに用語がバラバラ であったことから,編者の責任において用語を統一させてもらいました。
最後に一言。私はこの30年間,胸部大動脈疾患の手術数の激増,また手術法の進歩を肌感覚で実感してきました。それは,この疾患の治療に携わる者として,何物にも代え難い充実感でありました。これと同じ満足度を,今後もこの疾患の治療にあたる関係者に等しく味わってほしいと心の底から願ってやみません。
2023年8月 編者を代表して
森下清文