今から20数年前の医師になり立ての頃、未熟な私は、目の前にいる患者のために、単に自分の実力をつけたい一心だった。知識はない。触診も聴診もできない。点滴を注せない、採血もできない。何かをやろうものなら、患者さんをただ傷つけるだけ。努力をしても、一朝一夕に実力はつかない。急性虫垂炎の確定診断の「お墨付き」をもらえるようになるのに1年。急性虫垂炎の手術適応の「お墨付き」をもらえるようになるのにさらに1年。不器用な私の成長曲線は、同僚たちから大きく離されていた。
しかし、指導してくださった先生方からいただいたアドバイスに、何度も助けられた。
「何か1つのことを成就するには、1万時間かかる。3年かかる。1年や2年で諦めるな」
「誰でも失敗はする。ただ、繰り返すな!」
「学会に行ったら、『合併症・偶発症』のセッションやブースには必ず行け。真似したくてもできないトラブルシューティングを、聞いて、質問して、頭に叩き込んでこい!」
「手術の上手い外科医が名医ではない。トラブルシューティングをたくさん身につけている医師が、名医だ」
その頃の学会での見聞は、本当に勉強になった。
いつの頃からだろうか。学会で「合併症・偶発症」のセッションが激減した。あるいは、消えてしまった。
「訴訟絡みになるから、応募演題数自体が減った」
「学会自体が、訴訟に巻き込まれることに尻込みしたからだ」
このような話がまことしやかに耳に入ってきた。確かに、日本法医学会から1994年に発表された『異状死ガイドライン』1)を契機に、「合併症・偶発症」の学会発表数、発表機会が減った印象を持っている。
そのような風潮の中、2007年に開催された「第7回内視鏡的粘膜切除術(EMR)研究会」は、非常に有益な研究会だった。テーマは「ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)偶発症の克服─これを見ずしてESDを行うべからず!」。テーマのとおり、偶発症の発表だけだった。
当時の私の職場では、ESDを始めてまだ日が浅かった。私だけでなく、スタッフ全員のスキルアップが必要だった頃だ。手技の完遂に時間を要していたが、大きなトラブルをまだ一度も経験したことはなかった。内視鏡室スタッフを大勢引き連れてその研究会に参加し、全員にとって忘れられない貴重な経験となった。実際に係争中という発表もあった。企画された当番世話人や演者の方々の勇気と英断に、ただただ感謝だった。
私の地元では「長野県内視鏡治療研究会」が毎年春に開催されている。今春で20回の開催を数えた。この会の前身である「長野県ESD研究会」でも、各医療機関から持ち寄った困難症例の発表に対する討議を繰り返してきた。偶発症をどのように回避できるかという討議もされてきた。
今の私は、消化管内視鏡検査・治療を専らとしているが、ESDに関しては、緊急手術を要する穿孔や後出血などの偶発症をまだ経験していないのは幸いだ。これも単に、偶発症を学ぶ機会に恵まれたからにほかならないと実感し、感謝している。
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