最初に提示した1歳3カ月の事例(No.4743,p41参照)と前回提示した2歳9カ月の事例(No.4746,p39参照)の全体を通してみたとき,最も印象的なことの1つは,母親に対して「甘えたくても甘えられない」ゆえに起こる子どもの心細い気持ちが表情や動きに明瞭に表出されていないことである。表情だけを見ていると不安が読み取りがたくなっているのだ。
「甘え」が受け止められるか否かは相手次第であることを考えると,母親に怒りをぶつけることは困難で,極力何事もないかのように装おうとするのは自然な成り行きである。子どもたちの多くは,自分が何か悪いことをしたのではないか,と自責感を強め,とにかく気に入られるように,嫌われないように心がけるものだからである。
2歳9カ月の事例では母親の前で過度に萎縮し,自発的・能動的行動ではなく,母親に言われるがままに振る舞っている。今のこの子にとっては,それが生きていく上で必要なことだからである。母親の前で萎縮しつつも,ストレンジャー(ST)と2人になると途端に声が出なくなったところをみると,母親と一緒にいるほうが多少不安は軽減されているのであろう。子どもの母親に向ける感情がいかに複雑で繊細なものかを推測することができる。
母親の生い立ちからもうかがわれるように,母親は自分の期待するほうへと子どもを遊びに誘っているが,子どもはそれに対してまったく抗うことはなく,母親の指示に従っている。母親をこのような働きかけへと突き動かしているのは,他人様にどのように見られ,評価されるかという心配とともに,こうあるべきだという強い思いである。そこには子どもが何をしたいのか,何を欲しているのか,ということに思いを寄せるゆとりなどない。
誰しも母親の無理解を非難したくなるであろうが,ぜひとも考えてほしいのは,母親が,自分の生い立ちが子どもにどう影響しているのかを気にしていて,どうしてよいかわからないという強い困惑を抱いている,ということである。
では,母親の生い立ちはどのようなものだったのか。連載第3回(No.4745,p40参照)で取り上げたアダルト・アタッチメント・インタビュー(adult attachment interview:AAI)の手法で語られた母親の幼少期の体験想起から考えてみよう。以下に重要箇所のみ取り上げる。
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