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観察力の教育と診断─ウィリアム・オスラーと絵画鑑賞[プライマリ・ケアの理論と実践(64)]

No.5015 (2020年06月06日発行) P.12

森永康平 (獨協医科大学総合診療科)

登録日: 2020-06-04

最終更新日: 2020-06-03

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SUMMARY
観察はあらゆる診療行為の原点にもなる行為であるが,その学習方法は統一されていない。【対話型鑑賞】は初見の作品に対する細部の認識と気づきを参加者同士のコミュニケーションによって意味づけていく手法であり,その考え方は自身の観察力向上や教育への参考になる。

KEYWORD
観察力
ウィリアム・オスラーは「医術はすべて,観察にある」の言葉をモットーとしていた。観察力は一方的には伝授できず,主体的に獲得するスキルだ。教育で重要なのは気づきの機会と材料の提供,そして成長を信じ見守ることである。

   

森永康平(獨協医科大学総合診療科)

PROFILE
諏訪中央病院で総合診療の基本を5年間学んだのち現職。2019年度から同大学でBSL(Bed Side Learning,臨床実習)前の学生に対する芸術作品を使用した言語力や感性・美意識など診療に必要な能力を高める授業を開講,2020年度中には美術館と連携しての教育プログラムを実施予定。

POLICY・座右の銘
学校で習ったすべてを忘却してもなお残るもの,それが教育である(アルベルト・アインシュタイン)

1 “観察”の重要性

学生や研修医の診療風景を見ると“観察”がおろそかにされていると感じることは,非常に多い。サー・ウィリアム・オスラーの「観ないために失うもののほうが,知らないために失うものよりも多い」という言葉を改めて振り返ろう。診療についても“観察”の持つ役割と可能性は計り知れないものがある。

問診や身体診察,血液検査など一般に診療行為と呼ばれるものを始めるずっと前から,患者を待合室で見かけたそのときから観察は始まっている。年齢は?性別は?歩き方は?同伴者は?整容は整っているか?歩くたびに痛みで顔をしかめていないか?と,診察台に横になるまでに膨大な情報を集めることが可能だ。問診でも患者の口から出る言葉から得られる情報に加え,回答の際に浮かべていた表情,仕草を観察することで,発せられた情報の信頼性,本人の話題に対する認識や感情を推測することが可能になる。

身体診察のほとんどが視覚に依存しており,検査結果も同様である。早急な判断と行動が必要な救急医療の現場でも特に視覚が不可欠だ。患者の状態について意識や呼吸,循環は保たれているか(すぐに処置室に移動して早急に対応を開始する必要があるか)を判別する必要がある。

オスラーは「よい習慣を獲得すること」の重要性も述べている。“観る”習慣が一度つけば,どれだけ診療の手順が効率化され,ゆえに余計な検査を省くことができ,また重篤な経過になる前の早期発見に繋がるだろう。対面により得た,細部から背景まで多くの視覚情報に基づきデザインされる診療は患者の安心感を生み,良好なラポール形成へと繋がる。自分の診療が適切に行われているか,一方的になっていないかも患者の表情を見れば一目瞭然だ。

だが,一方で観察とは診療において重要な位置づけでありながら,学校や現場で教育される対象としてはとらえられなかった。卒後に臨床医となって質の高い経験や実績を積み上げる中で自然に身につくもの,という認識が一般的である。しかし“観る”行為は主体的で対象は当然自分で決めている。視線は嘘をつかず,建前上は重要と思っていても,実臨床では意味がない(役に立たない)と思っていれば,結局のところ眼を向けることはないのである。自分が見たいものしか“観れ”ないし,見たと思っているものですら,事前から持っていた知識や経験で情報が補填されていて,十分に“観て”いないこともある。観察力の向上を経験頼みにするのは,運悪く観察の重要性に触れられないケースなどを想定すると,若干心許ないのではないだろうか。

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