名前があって意識されたり記憶に残ったりする、ということがあると思う。ローカルな話で恐縮だが、東北大学星陵キャンパス内にある「狼坂(おいぬざか)」は、学生や教職員が日常的に往来する平凡で小さい坂だ。しかし、「仙台七坂」の1つに数えられ、由緒は中でも一番古いと聞いて驚く。医学部同窓会が建立した石碑によれば、「医学部北門から南に延びる旧新坂通のこの辺りのゆるい坂道は八幡太郎源義家が後三年の役に奥州下向の折(1083年)万民を悩ます狼を退治し埋めた所と言い伝えられている」とある。ドラマで話題の紫式部の時代より後で鎌倉時代よりは前の時代だ。立派な由緒は知らなかった。だが、学生時代、名前があることで坂を認識し記憶できたことは間違いない。
一事が万事。たとえば、解剖学では、“tabatière anatomique”(「解剖学者のタバコ盆」、と習った)と呼ばれる部位がある。そこに嗅ぎタバコをおいて使用したという、今ならけしからぬ由来ではある。手背母指基部の長母指伸筋腱と短母指伸筋腱および長母指外転筋腱の間のくぼみ、のことだ。学生時代、わが同級生が作詞作曲した「涙のタバティエール」は、やっと恋人の手に触れる切ない唄だった。今でも、舟状骨骨折の触診や透析用のシャントなどの専門的な分野の用語でも登場する名前でもある。堅苦しい専門用語よりも、「タバティエール」が忘れられない。
プロジェクトに名前をつけるのも常套手段だ。COPDは喫煙を主原因とする慢性呼吸器疾患だ。タバコを吸わないことで予防できる。わが国で500万人以上の罹患者がいると想定されているにもかかわらず、あまり知られていない。健康日本21(第二次)(2013年〜)の疾患認知度向上の目標に加え、さらに健康日本21(第三次)(2024年〜)では、人口10万人当たり13.3人(2021年)のCOPD死亡を2032年には10.0まで減少させることをめざすことになった。呼応し、日本呼吸器学会は、学術部会を核にして一大プロジェクトをいち早く立ち上げた。早期受診の促進(禁煙による進行防止)、診断率の向上と適切な治療介入、などを目的とした実行モデルを提唱し、自治体などのステークホルダーの様々な活動をサポートする計画という。英語名称の頭の文字を拾って、「木洩れ陽2032(Project for COPD mortality reduction by 2032、COMORE-By2032)」と名がつけられた。
COPDの取り組みに日差しが降り注ぐイメージをも想起させ、名づけはプロジェクトの魂と命ともなる。この名前が何かしら多くの人々の意識と記憶に刻まれて理解が少しでも広がるのなら、目標達成への原動力となるに違いない。はたして、「狼坂」や「タバティエール」のように後世に語り継がれるのか、今、そのスタート地点に立ったのだと思う。
黒澤 一(東北大学環境・安全推進センター教授)[COPD][健康日本21][禁煙]