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FOCUS:血液検査について考え直す 〈再考から導き出されたPearl & Pitfall〉

No.5279 (2025年06月28日発行) P.9

田中和豊 (福岡県済生会福岡総合病院臨床教育部部長/総合診療部主任部長)

登録日: 2025-06-27

最終更新日: 2025-06-24

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福岡県済生会福岡総合病院臨床教育部部長/総合診療部主任部長

田中和豊

94年筑波大学医学専門学群卒業。日米の病院で臨床研修後,2004年済生会福岡総合病院に赴任,臨床教育部と総合診療部を設立。誰にでもできる臨床医学の「明晰で判明な方法」を探究して,誰もが良医になることができる臨床教育システムの構築を模索している。『問題解決型救急初期診療』『問題解決型救急初期検査』など,著作多数。

私が伝えたいこと

◉血液検査は臨床上,主に疾患の病因を特定する,つまり疾患の生理学的異常を特定するために用いる。

◉血液検査の役割はEBMで考える。すなわち,感度・特異度,そして必要十分性を考えて検査を行う。

◉マネジメントを変えないであろう検査は,行わないことも可能である。一方,マネジメントを変える検査は絶対に必要である。

◉患者に実際に血液検査を行うかどうかは,医師が一方的に決定するパターナリズム的医療倫理で意思決定するのではなく,患者と協力して最善の選択肢を選ぶ共同意思決定(SDM)で決定する。

◉検査異常が発症するメカニズム,各種疾患の病態生理,各種ガイドラインの検査値基準などに精通すると,より適切な臨床判断が可能となる。

◉検査の最終目的は患者の幸福である。

❶ はじめに─血液検査をどう使いこなすのか

我々医師は多くの医療現場で血液検査を行っている。外来,救急室,病棟,手術室,集中治療室などの臨床現場だけではなく,現在では訪問診療においても血液検査を行うこともある。

問診,身体診察,画像検査とともに血液検査が臨床現場で重要なことは論を俟たない。しかし,「血液検査をどう使いこなすのか?」ということは臨床的に非常に難しい問題である。今,「血液検査をどう使いこなすのか?」と記載したが,これをさらに具体的に分析すると,それは,「血液検査はどのような場合に行って,どのような項目の検査を行い,その結果をどう解釈して,その結果からどう行動すればよいのか?」という問題に言い換えられる。

本コンテンツでは,この問題を考え直したい。

(1) なぜ血液検査について考え直すに至ったのか

本題に入る前に,筆者がなぜ血液検査について考え直すに至ったかについて述べる。

筆者も現在の医師のように研修医から始めた。当時,研修医としての業務の多くは,上級医から「この患者にこの血液検査を出しておいてくれ」と言われて,単にそのオーダーを出すことであった。だから,その患者になぜその血液検査が行われて,その結果によって患者はどう変わるのかなどのことは,自ら疑問に思わなければ学ぶことができず,研修が終わってしまうのであった。しかし,救急当直では,そうはいかなかった。

当時は学生時代に実践的な臨床実習はほとんど行われていなかったし,救急マニュアルはおろかインターネットなどもなかった。だから裸一貫で患者に接して,自分ひとりで明らかに拙い問診や身体診察を行わなければならなかった。なんとか我流で問診や身体診察を行ったとしても,その患者にどんな鑑別診断が考えられて,どのような検査を行えばよいのか,などのこともほとんどわからなかった。

頭部打撲などの軽症外傷患者には血液検査は必要なく画像検査だけ行えばよいことぐらいはわかっていたが,全身倦怠感や腹痛などの内科疾患についてはやはり難しかった。そんな理不尽な経験を積み重ねる中,覚えた知恵があった。それは,問診と身体診察を行って診断にあたりがつかなかったら,「とりあえず採血と点滴をしましょう」と患者に提案して,血液検査と点滴を行うことであった。

とりあえず採血をするのは,その結果が出るまで1時間ほど時間がかかるので,その間に当時の救急室に転がっていた内科あるいは外科マニュアルで疑わしい疾患の項目を読むことができる,あるいは救急室にいる誰かしら先生をつかまえて相談することができるからであった。

また,点滴ラインをキープするのも,後から造影CTを撮影したり点滴で薬剤を投与したりすることが可能となるからであった。

最初はこれでよかった。しかし,自分が救急専門医となって当直中の救急搬送患者と徒歩来院患者の診療に責任を持つようになると,研修医時代のままではよいわけがなかった。筆者が勤務していた救急室では,救急医が救急搬送患者と徒歩来院患者を同時に診療していた。このように一時に多数の患者が受診する救急室では,研修医時代のようにとりあえず採血・点滴・画像検査を行っていては,すべての患者を適切にマネジメントできないことを痛感した。確かに救急室には我も我もと一時に多数の患者が受診する。しかし幸いなことに,それらの患者はすべてが重症ではないし,必ずしも緊急性はないのである。それならば,医療専門職である自分は患者の重症度と緊急度に合わせて,その患者にとって最適な検査や治療を選択しなければならないのではないか,と考えるに至ったのであった。

(2) 「とりあえず採血」から「患者に合わせた検査の選択」へ

そう考えるに至った筆者は,それまで我武者羅に行ってきた自分の診療をすべて見直すことにした。最初に患者の主訴からどのような鑑別診断を考えて,どのようなアプローチをするのかを見直した。その後,血液検査などの検査異常では,どのような鑑別診断を考えて,どのようにアプローチするかを見直した。

その自分の診療の見直しを,拙著『問題解決型救急初期診療』と『問題解決型救急初期検査』として出版した。両書籍ともCareNetで動画コンテンツ(前者は「Step By Step! 初期診療アプローチ」,後者は「Dr.田中和豊の血液検査指南」)となっている。

この血液検査という日常的に頻回に行う検査についての講演や原稿依頼は医療現場から数多くある。最近では,2023年度日本内科学会生涯教育講演会Aセッション,セッションⅢの6にて「内科診療における血液検査の役割」と題して講演させて頂いた。その内容は,日本内科学会雑誌第113巻第3号に掲載させて頂いた。

今回は,日本医事新報社から通常ではありえない,かなりの誌面を割いての原稿のご依頼を賜った。このような数十ページにも及ぶ原稿のご依頼を頂いた千載一遇の機会に,今まで他の書籍,動画や原稿では伝えきれなかった内容や,血液検査に関する成書には記載されていない知見などについてもご紹介したいと思う。

また,日本医事新報社の読者の大部分が一般開業医の先生方で,筆者が一般開業医の先生方と意見を直接交わす機会がほとんどないことから,この貴重な機会に急性期病院の総合診療部に勤務する一医師として,僭越ながら一般開業医の先生方にお伝えしたい内容も記載させて頂くことにした。せっかくの機会であるので,本稿について読者の方々から忌憚のないご意見をお待ちしている。

❷ 血液検査の適応

最初に血液検査の適応について考えたい。臨床現場においては,問診と身体診察の後に,患者に採血をするか否かの「判断」をしなければならない。では,その「判断」はどのようにすればよいのであろうか?

この採血をするか否かの「判断」を考えるために,血液検査の意義を考える。我々医師は患者の主訴に対して,その原因疾患が何なのかの診断を行わなければならない。その診断を行うには,大きく2つのことがわかればよいと筆者は考えている。すなわち,「疾患の臓器を特定すること」と「疾患の病因を特定すること」である。たとえば,「肺」の「感染症」であれば「肺炎」であり,「心臓」の「血管閉塞」であれば「虚血性心疾患」,「腸」の「感染症」であれば「腸炎」などと大体の診断がつくのである。

この「疾患の臓器を特定すること」は言い換えると「疾患の解剖学的局在を特定すること」であり,「疾患の病因を特定すること」は「疾患の生理学的異常を特定すること」であると言える(1)。

この「疾患の解剖学的局在」を特定するためには通常,画像検査を行い,「疾患の生理学的異常」を特定するためには血液検査などを行っていると考えられる。もちろん例外はある。血液検査でも炎症反応が上昇していて,肝酵素の上昇所見があれば「肝炎疑い」というように臓器の特定も可能である。このような例外は別にして,総じて医師の診断過程とは,問診・身体診察・血液検査と画像検査から疾患の臓器と病因を特定して,診断に結びつけていると言うことができる。これは,算数での図形と計算,数学での幾何と代数の融合問題を解くようなものである。

(1) 血液検査はどれくらい診断に寄与するか

それでは,ある疾患の診断をつけるために,画像検査や血液検査は診断にどれくらい寄与するのであろうか,という疑問が生じる。この疑問については,1991年にカナダのGuyattによって提唱されたEBM(evidence-based medicine)により定量的に分析されている。このEBMが日本の医療現場に浸透したのは,おそらく2000年以後であろう。筆者は1994年に医学部を卒業して,1997年から2000年まで米国で臨床研修を受けた。この米国での臨床研修時代でも,「EBMという革命的な医療改革が起こっているから,医療現場でもEBMを実践しろ」などと指導医がとりつかれたように言っていた。しかし,その当時の米国でも,EBMがどのようなもので,医療現場でどのようにして実践するのか,などのことを体系的に説明してくれる指導医は誰ひとりいなかった。そのため,EBMが一体何なのかを理解するために,筆者は当時David L. SacketがEBMの実践および教育について記した“Evidence-Based Medicine. How to Practice and Teach EBM”の原著を精読した。

その原著には,今では既知となったが,検査の独自の指標は感度と特異度である,ある検査を使用したときの診断の正確度はROC(receiver operating charac-teristic)曲線下面積,つまりAUC(area under curve)で評価される,複数の血液検査などの同種の検査の組み合わせは感度を上昇させるのに対して,血液検査と画像検査などのように異種の検査の組み合わせは特異度を上昇させる,などのことが記載されていた。

検査の感度や特異度などは,現在では医師国家試験に毎年出題される問題となっている。筆者は2000年以前に医学部を卒業したが,幸い米国研修でこのEBMについて学ぶ機会があった。しかし,このような特別な機会がなければ,2000年以前,つまり20世紀に医学部を卒業された先生方はEBMについては馴染みがないことになる。この検査と診断についてのEBMのエッセンスについて勉強されたい方は,拙著『問題解決型救急初期検査』を参照されたい。

2000年以降に日本の医療現場にEBMが浸透した結果,検査についての考え方の主流も変わった。何せ2000年以前の日本の医療現場では検査や診断が絶対のドイツ医学的な考え方が主流で,確定診断をつけることに固執して絨毯爆撃的な検査を理想としていた。しかし,2000年以降に浸透したEBMでは,検査や治療はあくまで最終的に患者自身の幸福を目的としているために,不必要な検査まで徹底的に行うのではなく,あくまで診断や治療を行うのに必要十分な検査を行うというように診療の方向転換が起こった。しかし,2025年,つまり21世紀になって四半世紀経過した現在でも,いまだに絨毯爆撃的検査を行う先生もいらっしゃる。

(2) 患者のマネジメントを変える検査

それでは,採血をするか否かは,どのようにして「判断」すればよいのであろうか? その問いに対するEBMの答えは,患者のマネジメントを変える可能性がある場合のみ検査を行う,というものである。

この「患者のマネジメントを変える可能性がある場合のみ検査を行う」,つまり「患者のマネジメントを変える可能性がなければ検査を行わない」というのは,一体どういうことなのだろうか?

(1)例:筆者の研修医時代の丹毒

これを理解するために,筆者の研修医時代の逸話をご紹介する。前述のように筆者は研修医時代に,患者の問診と身体診察を行って診断や治療がわからなければ,飲み会でとりあえず生ビールというように,採血と点滴を行うということを学んだ。そんなとき,ある平日の午後に,救急外来に顔面が真っ赤に腫れた患者が受診した。この患者の診断は明らかに「丹毒」であった。しかし,患者の顔面の発赤があまりにもひどかったので,当時の筆者はこの患者には重篤な炎症反応が起こっていて,このままでは髄膜炎を合併してしまうのではないかと思った。本来であれば血液検査のほかに血液培養2セットを採取して点滴ラインを確保すべきであったが,それもせずに,皮膚科の先生に直接連絡してしまったのであった! その数分後に皮膚科の先生が来てくれて,患者の顔を診るなり,「丹毒ね! ケフラール処方して,後日皮膚科外来を受診させて!」と言い放って帰っていってしまった。皮膚科の先生は,何と一瞬の視診だけで診断と治療を決定してしまったのであった。皮膚科の先生は,血液検査もしなかったし,いわんや「顔面造影CT検査もしよう」などという言葉は一切放たれなかった。

あまりにも衝撃的な展開に,その夜,筆者は医学書の「丹毒」の章を熟読した。すると,そこには,合併症として「髄膜炎」という記載はどこにもなかった。「丹毒」の合併症として起こりうる疾患として,稀に海綿静脈洞血栓症という記載はあった。逆に医学書の「細菌性髄膜炎」の章を読んでみると,原因疾患として中耳炎という記載はあったが,顔面蜂窩織炎や丹毒という記載は一切なかった。

それだけではなく,筆者は丹毒の患者を診たときに,その皮疹があまりにも赤かったために,非常に重篤な炎症反応が起こっているので,採血で炎症を評価して,治療も経口ではなく点滴の抗菌薬投与が必要で,かつ抗菌薬は耐性菌もカバーする広域抗菌薬でなければならない,と勝手に愚考していたのであった。

しかし,その幻想も後日すべて崩れ去った。丹毒の皮膚の発赤が非常に赤くなるのは炎症が重篤だからではなく起炎菌である連鎖球菌の出血毒によって皮下出血しているためであること,患者に発熱がなく全身状態もよいので全身性ではなく局所の炎症反応であると身体診察のみから判定できること,たまたま起炎菌の連鎖球菌が出血毒を持っていただけであって,その連鎖球菌が抗菌薬に耐性を持っているかどうかとはまったく関係ないこと,などを後日学んで,そのときの皮膚科の先生の診療をやっと理解できるようになったのであった。

顔面丹毒は部位によっては海綿静脈洞血栓症を起こすことはあるが,その場合でも原因疾患である丹毒という感染症の治療によって海綿静脈洞血栓症の自然治癒も期待できる。海綿静脈洞血栓症の検査や治療は,顔面丹毒を経口抗菌薬で治療しても軽快しない場合のみに考えればよいことであって,最初から顔面造影CTを撮影して診断,あるいは否定する必要はないことも後日理解した。

そのとき筆者が思ったのは,もしも筆者がこの患者に採血・血液培養2セット±顔面造影CT検査を行っていたら,99%必要のない検査を患者に行って,無駄な時間とお金を使い,苦痛を与えてしまっていたということであった。もちろん,その患者に免疫抑制状態などの感染症の重篤化のリスクがあれば,これらの検査を行うという選択肢もありえたであろうが,その患者にはそのリスクはまったくなかった。そして,そのとき筆者が自覚したことは,自分に必要な技能は,とりあえず何でも検査することではなく,正確な診断と治療が行えるようになるための基本疾患の知識と感染症や抗菌薬の基本的な知識を習得することである,ということであった

無能な自分の前で電撃的なゴールを一瞬で決めて去っていかれた,その若くて美しい皮膚科のお姉さん先生は,今思うと女優の石原さとみさん似であった……。それ以降,筆者がその皮膚科のお姉さん先生に淡い恋心を抱いたのは言うまでもない。

(2)「念のため」検査が診断に結びつくとき

このように,マネジメントを変えない検査は不要なのである。一方,我々は臨床現場で「念のため」検査したことによって,予想外の結果が出て診断に結びつくこともある。

「念のため」検査が予想外の診断に結びつく例としては,長引く感冒の患者に採血をして白血病が見つかる場合,頭痛と発熱の患者に採血をして肝炎が診断される場合,などがある。

このような場合は確かに「念のため」の検査であったかもしれない。しかし,多くの場合が,問診と身体診察からではピックアップできないような診断が採血からピックアップできた場合,つまりマネジメントが変わる可能性があった場合で,レトロスペクティブには採血が必要であった場合なのである

(3) 患者と判断する検査をする/しない

それでは,実際にはどんな場合に採血をして,どんな場合に採血をしないという「判断」をすればよいのであろうか? この採血をする/しないの「判断」は,筆者は患者とともに「判断」している。たとえば,問診と身体診察から「感冒」と考えられる患者に,①「感冒疑い」で解熱鎮痛薬で様子をみて,それでもよくならなかった場合に採血などの検査をする,②「感冒疑い」であるが,念のため血液検査をして他の可能性も否定して,解熱鎮痛薬で様子をみる,などの選択肢を与えて,患者とともに検査・治療方針を決定するのである。

「検査をしない」と言うと,「誤診した場合に訴訟が怖い」と言う先生方も多いと思う。過去には,検査をする/しないはすべて医師が決定する,いわゆるパターナリズム的医療倫理で意思決定が行われていた。しかし,現在では,検査や治療方針についていくつか選択肢を提示して,医師と患者が協力して最善の選択肢を選ぶ共同意思決定(shared decision making:SDM)が推奨されている。このように,患者の検査・治療方針の意思決定を医師が一方的に行うのではなく,患者と共同して行えば訴訟のリスクは減り,かつ患者にも意思決定の責任が生じることとなる

本コンテンツでは,「血液検査はどのような場合に行って,どのような項目の検査を行い,その結果をどう解釈して,その結果からどう行動すればよいのか?」という問題を考え直すために,以下に筆者が臨床上重要と思われるいくつかの検査項目を選んで解説させて頂く。

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