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癌細胞が良性化することはあるか

No.4694 (2014年04月12日発行) P.69

國政 啓 (京都大学大学院生命科学研究科システム機能 学分野)

井垣達吏 (京都大学大学院生命科学研究科システム機能 学分野教授)

登録日: 2014-04-12

最終更新日: 2016-11-11

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【Q】

癌細胞は突然変異を起こしてさらに悪性化するという。非常に稀には良性化への変異もありうるのか。良性化する場合があれば,その機序を。 (東京都 Y)

【A】

がんの良性化を促進する突然変異の報告はないが,「細胞老化」を誘導することで細胞増殖の停止を引き起こす機構は存在する。腫瘍悪性化の機序としては,細胞極性の崩壊などが知られている。
腫瘍とは,良性・悪性を問わず細胞増殖により塊を形成する病変を指す。良性と悪性の違いについては,周囲組織への浸潤,脈管浸潤,遠隔転移などのないものを良性腫瘍として扱い,これと対照的に浸潤能を有し,転移を起こすものを悪性腫瘍として扱う(文献1)。がんという言葉は,一般的に悪性腫瘍を指す。悪性腫瘍を形成する細胞は良性腫瘍を形成する細胞と比較して,(1)核異型が強い,(2)多形性が強い,(3)増殖能が高い,などの特徴を持つ(文献1)。こうした形態の変化には,遺伝子の異常が深く関わっていることが明らかにされてきた。発癌過程は多段階的に起こるという説(multi-step theory of carcinogenesis)がある。がんはその発生過程において,(1)単一の正常細胞にある種のDNA障害が発生するイニシエーション期,(2)この変異細胞に増殖刺激が起こることで腫瘍形成が促されるプロモーション期,(3)形成された腫瘍にさらに遺伝子の異常が起こることで浸潤・転移能が発生するプログレッション期,の各段階を経て,多段階的に癌化すると考えられている(文献2)。ここに良性腫瘍の形成から悪性腫瘍に至る過程が含まれるが,すべての悪性腫瘍が良性腫瘍を経て癌化するわけではなく,正常細胞から直接発生するというde novo発癌仮説もある(文献2)。多段階発癌にしてもde novo発癌にしても,癌細胞ではゲノムの不安定性によって複数の遺伝子異常が関与していると考えられており(文献3),悪性化に寄与する遺伝子の同定はこれまできわめて困難であった。
このような状況の中,ショウジョウバエ遺伝学を利用した新しいがんの浸潤・転移モデルが確立され,表現型に基づいた個体レベルでの大規模スクリーニングによって腫瘍悪性化を起こす遺伝子群が同定されている。癌遺伝子Rasの恒常活性化型変異体(RasV12)誘導性の良性腫瘍ショウジョウバエモデルを用いて,これに浸潤・転移能を誘発するような遺伝子変異のスクリーニングが行われ,上皮細胞の頂端基底極性(apico-basal polari-ty)の形成に必須の遺伝子であるscribbleが同定された。scrib変異をRasV12発現細胞クローンに誘導すると,これらの変異細胞はストレスキナーゼJNKの活性に依存して隣接する組織への浸潤や遠隔臓器への転移を示すことがわかり,細胞極性の崩壊が腫瘍悪性化の原因のひとつとなっていることが示された(文献4)。
一度悪性化した細胞が何らかの遺伝子変異によって良性化するという現象は,これまで明らかにされていない。しかし,癌遺伝子の活性化は細胞の過剰な増殖を導くだけではなく,細胞分裂が不可逆に停止した状態である「細胞老化(cellular senescence)」を起こしうることも明らかになってきた(文献5)。細胞老化はアポトーシスと同様に,発癌ストレスを受けた細胞の増殖能を喪失させるがん抑制機構として働いていると考えられる。実際に,発癌の初期段階では様々な細胞老化マーカーが検出されるが,悪性化が進行するとそれらのマーカーは検出されなくなるという報告がある(文献6)。しかし一方で,細胞老化が癌形成に対して促進的に働きうることも知られている。細胞老化を起こした細胞は炎症性サイトカインやケモカイン,増殖因子などを含む様々な分泌因子を高発現することが知られており,この現象はSASP(senescence-associated secre-tory phenotype)と呼ばれている(文献7)。細胞老化を起こした細胞の周辺に存在する細胞の性質や環境が変化することで,SASPが周辺細胞に対して発癌促進の方向に働く可能性が示唆されている。
以上のように,がんの形成過程においては,個々の細胞は様々な遺伝子変異の影響を受けながら発癌に促進的あるいは抑制的に変化し,その総体としてがんが形成されていく(図1)。この癌形成過程の分子機構をひとつひとつ明らかにすることで,発癌メカニズムの全貌を明確にし,その制御によりがんを制圧することが期待される。

【文献】


1) Kumar V, et al:Robbins & Cotran pathologic basis of disease. 7th ed. Saunders, 2004, p270-6.
2) Weinberg RA:The biology of cancer. Garland Science, 2006, p399-462.
3) Forment JV, et al:Nat Rev Cancer. 2012;12(10): 663-70.
4) Igaki T, et al:Curr Biol. 2006;16(11):1139-46.
5) Serrano M, et al:Cell. 1997;88(5):593-602.
6) Collado M, et al:Nature. 2005;436(7051):642.
7) Coppe JP, et al:PLoS Biol. 2008;6(12):2853-68.

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