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相良知安(14)[連載小説「群星光芒」269]

No.4858 (2017年06月03日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2017-06-04

最終更新日: 2017-05-30

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  • 相良知安ははじめて会った北里柴三郎の猛犬を思わせる顔をじっとみつめ、
    「貴殿には稀にみる傑物の相がある」

    と告げた。

    「『易経』に『力小にして任重ければ及ばざること鮮なし』とある。拙者のように力量の少ない者が重い任務を背負わされると兎角身に災いが及ぶが、貴殿はまかり間違っても拙者の様な目には遭うまい」

    「なんば仰りますけん」

    北里は悲憤に満ちた声で頭をふった。

    「先生がドイツ医学導入に挺身なさり、医療制度の大本ば築かれたご功績は絶大ですたい。ばってん、なしてこげな騒々しか下町で燻っておられるけん?」

    「貴殿は何か誤解されているようだ」

    知安は苦笑いをした。

    「拙者にとってこの界隈ほど張り合いのある居所はない。この町では互いに声をかけ合い、助け合い、慰め合って暮らしている。律儀で他人を思いやる市井の人達と触れ合うほど生きる手ごたえを感じることはない。拙者はこの町の住民に日常をひろやかな心で過すことを教えられたのだ」

    そして官庁勤めの頃よりずっと気持ちが平らかになったことを穏やかに語った。

    聞き終えた北里は、知安が世に隠れた賢者となったことを悟った。

    「ばってん、先生の御高説にとくと胸ば打たれ申した」

    北里は大きく肯き、「先生が肥前の葉隠武士なれば、手前は肥後もっこす(意地っ張り)ですたい。理不尽な者共には敢然と闘いますけん、見ていてくだされ」
    そういって深々と頭をさげると、「本日はまこと忝のうござった」と礼をいい、肥満した体をゆすりつつ去っていった。

    その頃、昔気質の石黒忠悳は知安が叙勲に与るよう政府の上層部に働きかけた。

    そして明治33(1900)年3月、知安に勲五等雙光旭日章を授与されることが決まった。しかし知安は「拙者、礼服をもたぬので授賞式には出席できぬ」といい、石黒が代理となって勲章を受領した。

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