大学卒業前後に不思議な慣習だと思っていたのは、医学生は基礎、臨床の全科目を勉強するのに、卒業して国家試験、研修を経て後、医師は1つの科目のみを生涯専門として選択するようになることであった。今も、まず内科、外科などの専門科目のローテーションにより一般医の基礎を固めるが、その後はいずれかの専門に邁進することが勧められている。しかし専門医を経て、その先にあるべき専門的バイアスなき全人的医学・医療を実現する総合医への道は必ずしも確立していない。一方で最近、総合診療は専門科として他科に伍することになった。
医師となり、臨床と病理をほぼ同時並行で始めて以降、患者の「患」と「者」の分離、そして「患」にスポットライトが当たる一方、「者」はその背景と化してしまう医学・医療現場の現実を目の当たりにしてきた。統計集団を扱うには有効な、現代医学・医療における病気ないし病名の独り歩きである。医学・医療の原点である全人的医学・医療に回帰すべく、それをめざすべきと思うようになった。
CPC(clinicopathological conference:臨床病理剖検症例検討会)は従来内科を中心に、患者の生前に起こった出来事を病理が解き明かす症例検討会であった。いわば推理小説や探偵小説のようなドラマティックな謎解きである。その後、診療を支援する各検査部門は進歩し、外科系の手術症例も加わり、CPCは名実ともに拡大、深化した。今や、病理が一方向的に解説する場ではなく、臨床的、病理(解剖)的アプローチ、そして看護等のコメディカル的アプローチが結集して、「生老病死」という個体史上の「病」の実態に重点的に迫る双方向型の検討会となった。事実に基づいた質疑応答を通して、明日の医学・医療への足がかりとなる教訓、気づきをもたらし、医学・医療にかかわる一人一人にとって診療、教育、研究への新たな一歩を踏み出す原動力となる集まりである。
臨床にとって剖検としての病理解剖、そしてCPCを行う目的は、主に最終的な病理診断と死因の詳細を病理に問うことである。臨床目線で組み立てられた臨床診断が妥当か否か、その当否を裏付ける直接的な情報を病理解剖に求める。剖検診断結果は臨床にフィードバックされ、剖検率と相俟って正診率・非正診率によって臨床の精度管理が行われる。
一方で、病理にとっての目的は、臨床に剖検診断を回答することと、基礎病理と診断病理それぞれの研究への糸口を見つけることである。病理解剖では、既往生検情報、臨床情報を参考としつつも、いつも始まりは白紙で、ブラックボックスとしての遺体をまず系統的にマクロ検索とミクロ検索する。マクロとミクロの所見を基に、診断を病理形態学的に再構築し臨床に回答する。また、個々の病変、疾患は、マクロ方向には個体全体の病態における部分変化としてその意味が研究されたり、ミクロ方向には関与する構成分子の特性が研究されたりする。
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