以前は,アルツハイマー型認知症(Alzheimer’s dementia:AD)の薬剤は存在しなかった。いや,あるにはあった1)。脳内の病理学的変化には作用しないが,前頭葉機能を賦活して認知機能の維持を図るドネペジルなどの対症療法薬2)や激しい行動心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia:BPSD)に対して,「諸外国では使わないのに,使っている日本は遅れている」などと論評されながらも介護現場の過酷な現状から使わざるをえない抗精神病薬(たとえばリスペリドン,クエチアピン,あるいは,やや外れるがチアプリドなど)しかなかった。つまり,「根本治療薬」は存在しなかったのだ。
しかし,2022年にエーザイがアデュカヌマブ,レカネマブ,イーライリリーがドナネマブの治験に成功し,新時代が始まった。本稿では,新時代に対する期待と問題点を整理する(2023年10月時点)。
まずは新薬の何が革新的であったのかを見てみよう。以前は,ADの人の脳内で何が起きているのかは,死後脳からしかわからなかった。1991年にアミロイドが原因物質との説が提唱され,病理学者によりADの患者の脳で,確かに徐々にアミロイドが溜まっていく様が確認されていた(アミロイドカスケード仮説)。核医学の進歩により,アミロイドPET検査などで生体の脳内のアミロイドを可視化できるようになり,生体でもADの進展により,徐々にアミロイドが溜まっていく様が確認できた〔2000年代のAlzheimer’s Disease Neuroimaging Initiative(ADNI)プロジェクトなど〕。アミロイドカスケード仮説が正しかったと確認されたのだ。
これを受けて,それまではADの診断は,あくまで死後に確定診断されていたのが,2011年の新しい診断基準では,PET検査や髄液検査が取り入れられた。これにより,プレクリニカル期(症状がないがアミロイドの病理がある),軽度認知障害(mild cognitive impairment:MCI)期(アミロイドの病理はあるが,認知症ではないグレーゾーン),そして,ADという病期が確立した。ようやく扉,そして鍵穴がみつかり,創薬が現実的になったのである。
しかし,創薬の道のりは非常に苦難に満ちていた。多くの新薬候補が失敗に終わり,そもそもアミロイドカスケード仮説自体が間違っていたのではないか,という疑念も呈された(アミロイドは確かに増えているが,本質的な何かの傍流にすぎないのでは,といった疑念である)。撤退する会社も現れる中,最初に成功したのはエーザイである。非常に大きなリスクを取り,成功した彼らのアニマルスピリットは称賛されるべきだ。とは言え,すんなりとはいかなかった。
アデュカヌマブは,初期のADを対象にした2つの試験(EMERGE試験とENGAGE試験)では有意差がなく,試験は中止となった。しかし,実質的に停止となるまでに症例の積み重ねがあり,さらに2つを合わせると高用量では有意差があった。なんとか米国において,条件付きで承認されたが1)2),これでは「最初アウトだったが,ビデオ判定で得点が確認されたようなもの」であり,「扉をこじ開けた」といったところであろう。その後エーザイのレカネマブが,初期のADを対象にしたClarity AD試験で有意差があり3),米国で承認された。これは文句なしの勝利であり,「第一の扉が開いた」と言えよう。
一方で,イーライリリーは大変苦戦していた。期待された先行者ソラネズマブは,EXPEDITION試験が失敗に終わった。しかし,捲土重来を期したドナネマブが,初期のADを対象にしたTRAILBLAZER-ALZ試験で有意差を確認することができた4)。扉を開いた2社目である。