本年7月下旬、新聞各紙は、日本で2013年4月に臨床研究が開始された新型出生前診断(NIPT)の3年間の実施状況について報じた。東京新聞7月20日付朝刊によると、NIPTを受けた人は合計3万615人で、年ごとに増えており、染色体異常の疑いがあると判定されたのは547人。さらに羊水検査に進んで異常が確定したのは417人で、そのうち394人が人工妊娠中絶を選択したという。
この報道直後の7月26日未明、相模原市の障害者施設で元職員の青年が入所者19名を殺害し、27名に重軽傷を負わせるという、本当に痛ましい事件が起きた。2008年に17人が死傷した秋葉原の事件も本当に痛ましいものだったが、相模原市の事件と秋葉原の事件は2つの点で異なっている。
第一に、秋葉原の事件が、自分を理解・承認しない社会に対する復讐という様相を呈していたのに対し、相模原市の事件の青年は、自分の殺人が社会のためになると考えている。報道によれば「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」と供述しており、彼は事前に衆議院議長に犯行計画を手紙で伝えようとしている。
第二に、秋葉原の事件の青年が事件直後、相手は「誰でもよかった」と供述していたのに対して、相模原市の事件の青年は、重度の障害者を選び、刃を向けている。秋葉原の事件の青年は、その言葉を信じるなら、少なくとも犯行の瞬間に障害の有無によって人間を区別(差別)していないが、相模原市の事件は、そうした区別(差別)の上に起きている。
相模原市の事件の青年は、重い障害を有する人がいなくなることが社会のためであり、社会もきっとそう考えているはずだ、と確信している。
相模原市の事件と出生前診断の結果に基づく選択的中絶を同一視することは間違っている。中絶によって妊娠女性はみな自分自身の身体を傷つけられ、命を落とす危険性さえある。精神的にも深く傷つく。そういう受傷の経験を、他人に対する殺傷行為と同一視してよいはずはない。
しかしながら、である。出生前診断とその結果に基づく選択的中絶は、障害者を減らすべきという青年の考えと、結果的に一致してしまう。誤解のないように言うが、胎児の障害を理由に中絶を選択した人たちも誰一人として相模原市の事件を許さないはずだ。しかし、事件を起こした青年の方は、その動機を踏まえれば、出生前診断と選択的中絶の普及を強く肯定するだろう。そういう意味で、出生前診断と相模原市の事件は一本の細い線でつながりうる。
優生学(eugenics)という言葉は、C・ダーウィンの従兄弟で、統計学者・遺伝学者として知られるF・ゴルトンが1883年の著作で初めて用いた1)。ゴルトンはこの言葉とともに、生後の環境要因よりも先天的な遺伝要因を重視しながら、優良とされる人間を増大させ、その逆に、劣等とされる人間を減少させる方策の必要性を説いた。
優生学のポイントは、人間の淘汰(選別)を出生前に完了することにある。ダーウィンが進化の必要条件とした自然選択は人間以外の生物の場合、出生後に多くなされるが、優生学は、そのような淘汰を出生前に完了するための、人間だけが持ちうる特別の知として構想された。他の動植物のように、出生後に個体を死滅させること(文字通りの弱肉強食)が許されるなら、優生学はそもそも不要なのである。
ダーウィンの進化論から冷徹な生存競争のみを連想する人にとっては意外かしれないが、ダーウィンは「同情心(sympathy)」を人間が進化の過程で獲得した本能の一つとして重視した。『人間の由来』2)(1871年)の第5章では、次のように述べている。「我々は、いかに切迫したときであれ、我々自身の本性の高貴な部分を歪めることなしに、自分の同情心を押しとどめることはできないだろう。外科医が手術の際に冷酷になるとしても、それは彼が自分の患者の利益のために行動していると思っているからである。もし我々が弱者や無力な者を意図的に切り捨てるならば、それはせいぜい不確かな利益をもたらすことができても、同時に計り知れない災厄をもたらすことになろう」。ダーウィンは、弱者の支援や福祉制度を否定したわけでは決してない。
とはいえ、彼は次のように続ける。救貧法や医学の発達によって「我々は弱者が生き延び、その種族を繁栄させていることが疑いのないような悪影響をもたらしているとしても、それを甘受しなければならない。だが少なくとも、ある歯止めは揺るぎないものとして存在しているように思われる。つまり、より虚弱で劣った社会の構成員が、健康な構成員ほど自由には結婚しないということである。こうした歯止めは、心身の劣った者が結婚を控えることによって際限なく強化されうるだろう」。“心身の劣った者”が子どもを生まないようにすることで、そのような子どもが生まれないようにすることが、ダーウィンの提示する優生政策の一つだった。
ダーウィンはさらに、反戦平和を優生政策として提示する。「大規模な軍隊を備えている国ならどこでも、最も屈強な若い男性は徴兵されるか入隊しており、彼らは戦争で若死にする運命にさらされ、またしばしば悪徳へと誘惑され、そして血気盛んな時に結婚することを妨げられている。その反対に、虚弱な体質で、欠陥の多い虚弱な男性は故郷に残され、その結果、結婚し自分の種族を繁殖させるチャンスをより良く与えられている」。ダーウィンのみならず、19世紀末から20世紀前半にかけて優生学者たちは口を揃えて戦争を逆淘汰として批判した。
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