(愛知県 N)
手術を含む医的侵襲を正当化するために必要な患者の「同意」は,有効なものでなければなりません。患者に同意能力があることや患者の自由意思に基づくことは「同意」の有効要件ですが,「文書による同意」であることは有効要件ではありません。簡単な手術であれ困難な手術であれ,「同意書」という文書の有無によって患者の「同意」の有効・無効が決まるわけではありません。したがって,「同意書」がなくとも,「同意」の有効要件を満たしている限り,有効な「同意」に基づく手術の施行自体は正当化されます。
なお,手術の正当化のためには,医学的適応,医術的正当性も認められる必要がありますので,手術施行にあたって過誤があった場合,当該過誤によって患者に生じた悪い結果については,手術への「同意」があることをもって責任を免れることにはなりません。
「同意書」は,患者が同意したという事実を証明する客観的証拠としての意味を持ちますので,「同意書」があるにもかかわらず「同意なく手術が行われた」と患者側が主張することは通常は考えにくく,「同意書」は争いを回避する策になるでしょう。もっとも,外来診療で行われる患者の意識下での手術では,患者の「同意」がなければ手術を施行すること自体が難しく─患者の身体を押さえつけて施行した,といったような事情でもない限り,患者に手術が施行されたという事態が生じていることから患者が手術に応じたことが推認され,「同意」の有無が争われたとしても,「同意書」がなくとも「患者が同意した」という事実自体は認められるでしょう。
患者の「同意」の有効要件という観点から重要なのは,医師による十分な説明がなされていることです。医師による十分な説明は,自己決定権の保護のためにも重要です。患者の「同意」を得ないままに手術を施行したのかどうか,ということよりも,むしろ医師による十分な説明がないままに得られた「同意」に基づいて手術を施行したのかどうかが争われることが多いように思われます。「検査と称してそのまま同意なく手術を施行した」と患者側が主張した場合,「同意」の有無自体よりも,検査前の医師の説明内容が十分であったのか,つまり検査結果によっては手術を施行することやそのリスク等を説明していたのか,ということが争われます。
医師が十分な説明を尽くしたことを客観的に証明するのは,説明事項が記載されている「説明文書」です。争いを避けるためには,実際に多くの医療機関で工夫されているように,外来診療でよく施行される手術については「説明文書」(パンフレットと称する場合もあるでしょう)を準備しておき,「説明文書」を示しながら患者に説明した上で,当該説明文書を患者に渡しておくことのほうが,「同意書」よりも有用だと思います。
前述のように,「同意書」は患者が同意したという事実を証明する客観的証拠としての意味を持ちますので,訴訟で「証拠」として用いられます。証拠として裁判所による取り調べの対象と認められるには,「同意書」が真正に成立した(患者の意思に基づいて患者が同意したことを表現するために作成された)ものでなければなりません。そのため患者の自著が必要なのです。
真正に成立した「同意書」がある場合には,この「同意書」を取り調べた裁判所は,患者が同意したという事実があったという確信に至ると考えられます(それゆえ,「同意書」がある場合,患者側が「同意」の有無自体を争うことは考えにくいのです)。留意して頂きたいのは,「同意書」の存在だけでは「同意した」という事実の存在が単に認められるにすぎないということです。「同意」が有効であると認められるためには,医師による説明が十分になされたことが必要であり,それを証明するのは「説明文書」です。
カルテ(診療録)も訴訟で「証拠」として用いられますが,「診療録は,その他の補助記録とともに,医師にとって患者の症状の把握と適切な診療上の基礎資料として必要欠くべからざるものであり,また,医師の診療行為の適正を確保するために,法的に診療の都度医師本人による作成が義務づけられているものと解すべきである」ことから「診療録の記載内容は,それが後日改変されたと認められる特段の事情がない限り,医師にとっての診療上の必要性と右のような法的義務との両面によって,その真実性が担保されているというべきである」と判断されています1)ので,カルテに患者が同意した旨の記載がある場合,患者が同意したという事実があると推認されます。
「リスクについての同意が得られた」との記載がある場合,この記載に説明したリスクの内容も含まれており,かつ十分な説明内容と言える場合には,「同意」が有効であることも認められるでしょう。ただし,カルテの場合,その記載自体を患者側が見る機会がなかったことから,その記載自体や記載内容について,「実際のものとは違う」などという疑義が出される事案がありうるとの指摘もなされています2)。このような疑義を避けるためにも,前述したように,「説明文書」を準備しておいて,カルテには「説明文書」を用いて説明した旨の記載をしておくことが有用であると思います。
【文献】
1) 東京高判昭和56・9・24判タ452号. p152, 判時1020号. p40.
2) 尾島 明:最新裁判実務大系2 医療訴訟. 福田剛久, 他, 編. 青林書院, 2014, p443.
【回答者】
日山恵美 広島大学大学院法務研究科教授