(福岡県 S)
厚生労働省や関連学会のガイドラインを遵守して,患者や家族等を交えた関係者による慎重な決定プロセスを踏んだ結果として行われるならば,殺人罪に問われる可能性は低いと考えます。
日本では延命治療の中止や差し控えについて,医師の刑事責任の免責基準を明確に示した法律は今のところありません。また,これまでいくつかの延命治療中止の事例が刑事事件化してきました1)。そのため,医療現場では,たとえ患者本人や家族が中止の意思を示していても,「治療中止は殺人罪に問われるのではないか」という懸念を払拭するのは容易ではないと思います。
しかし,2007年の射水市民病院事件をきっかけに,延命治療中止を含めた終末期医療全般の倫理的なあり方に関して社会的に議論が進み,これまで厚生労働省や日本救急医学会,日本老年医学会など,関連機関・学会がガイドラインを公表してきました。例えば,今年3月に改訂された厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」2)や,日本救急医学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会共同の「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」3),日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」4)などがあります。
これらのガイドラインはいずれも「どのような状況下で何をすれば医療者が刑事責任を問われないのか」という基準を示すものではなく,「どのようなプロセスを経て終末期の医療を進めていくべきか」を示したプロセス・ガイドラインと呼ばれるものです。
たとえば厚生労働省のガイドラインでは「医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ,それに基づいて医療・ケアを受ける本人が多専門職種の医療・介護従事者から構成される医療・ケアチームと十分な話し合いを行い,本人による意思決定を基本とした上で,人生の最終段階における医療・ケアを進めることが最も重要な原則である」と述べられています2)。つまり重要なのは,「患者がこうなったらこうする」といった一律の対応をとるのではなく,一人ひとりの患者の状況や考え方の違いに応じ,当事者が患者のために一緒に悩み,真剣に話し合い,それを繰り返して共同で決定に至るプロセスだということです1)。
これらのガイドラインに示されているような決定プロセスを経た結果として延命治療中止を行うことは倫理的に正当であり,それに対して司法が介入することは考えにくい,とする見解が有識者から示されています1)4)5)。実際,こうしたガイドラインの公表以降,たとえば2009年の福岡大学病院救命救急センターの事例6)や2016年の帝京大学病院高度救命救急センターの事例5)など,ガイドラインに則った延命治療の中止の事例がこれまで公表されてきましたが,いずれの場合についても刑事事件化する動きはみられません。
【文献】
1) 樋口範雄:続・医療と法を考える─終末期医療ガイドライン. 有斐閣, 2008.
2) 厚生労働省:人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(平成30年3月改訂). 2007.
[http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/ 0000197665.html]
3) 日本救急医学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会:救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン~3学会からの提言~. 2014.
[http://www.jaam.jp/html/info/2014/info-20141104_02.htm]
4) 日本老年医学会: 高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン 人工的水分・栄養補給の導入を中心として. 2012.
[https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/proposal/guideline.html]
5) NHK:クローズアップ現代「人工呼吸器を外すとき~医療現場 新たな選択~」. 2017年6月5日.
[https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3985/index.html]
6) 毎日新聞:延命治療「福岡大病院,学会の指針基に中止」. 2009.
【回答者】
圓増 文 東北大学大学院医学系研究科医療倫理学分野
浅井 篤 東北大学大学院医学系研究科医療倫理学分野教授