高齢者の高血圧には積極的な治療は不要であるという考え方は,SHEP研究,HYVET研究などの欧米の大規模臨床試験の結果から否定されて以来,1990年以降大きく変化したことは前回述べた。
今回はこのようなエビデンスをふまえて世界とわが国のガイドラインはどのように変化してきたか,そしてそのエビデンスの変容に大きな影響を与えたSPRINT研究1)とはどのようなものであったかをたどってみたい。
基本的にガイドライン(以下,GL)は大規模疫学観察(コホート)研究や大規模臨床試験などのエビデンスを基盤として作成されるものである。その点でFramingham研究2)やVA研究3)などの大規模で信頼性の高いエビデンスを有していた米国がGL作成においても世界に先駆けており,EWPHE研究4)などの大規模臨床試験を相次いで発表した欧州がそれに続いた。
残念ながら,わが国は久山町研究などの優れた疫学研究こそあったものの,ランダム化試験がほとんどないために高血圧のガイドラインづくりにおいては大きく出遅れた。そして世界の潮流に遅れまいと,ようやくJSH2000 5)として発表したものがわが国の第1弾高血圧GLであった。しかし,その内容はほとんどが欧米の臨床研究の成果をふまえたものであり,日本人にも適用可能かという疑問は残った。
JSH20005)の「高齢者の高血圧」の章は,当時の専門家の考え方を如実に表している。すなわち高齢者高血圧の対象とその降圧目標値は,60歳代,70歳代,80歳代と年代を細かく区切り,治療対象は60歳代では140~160/90mmHg以上,70歳代では160~170/90mmHg以上,80歳代では160~180/90mmHg以上となっている。これらの数値は,わが国の当時の専門家の間で言われていた「適正血圧値=年齢+90mmHg」という考え方に準じたものであった。
このような「高齢者における降圧は不要,あるいは危険」という思想は,動物実験から導いた1つの理論(experiment-based medicine)に基づいている。つまり,高齢者高血圧患者や脳卒中患者では,脳血流(autoregulation)の血圧調整閾の下限が上方に移行し,ある血圧レベル以下では脳血流が極端に落ちてしまうために脳の血流障害を誘発する危険性があるという理論である5)。その頃,欧米ではそのような実験室からの理論よりも,臨床から発信された事実(evidence-based medicine)を重視する考え方が普及し,それがGLに反映される時代になっていた。事実,わが国のGLにおける治療目標値も,SHEP研究6)など欧米から相次いで発表されたエビデンスによって大きく変容していくことになる。
わが国では,日本人に最適な高血圧治療に関するエビデンスを蓄積する必要性を痛感した日本高血圧学会や製薬企業が,大規模臨床試験実施に向けて動き出した。そして2006年の国際高血圧学会でようやく「わが国初の大規模臨床試験」と銘打ったCASE-J試験7)とJikei Heart試験(撤回)が発表されることとなったのであるが,喜びも束の間,いずれの試験においても製薬企業や担当医師による論文不正が明らかになるのである。さらに悪いことに,その誤った結果の一部がGL2009やGL2014に引用され,わが国の高血圧GLに大きな汚点を残すこととなった。